この1週間の出来事〜ラウル・ミドン編〜

ステイト・オブ・マインド(期間限定)

ステイト・オブ・マインド(期間限定)

さて、ラウル・ミドンのライブである。
会場は、渋谷AXホールというところ。渋谷という名前だが、Yahooの地図で場所を確認すると、ほぼ原宿である。TVや雑誌などでとうの昔に知っていたことではあるが、改めて原宿の変化を目の当たりにした。以前、私が原宿を訪れたのは、30年近く前である。
吉田拓郎山田パンダが原宿を「風が通り過ぎる街」などと歌っていた時代で、竹下通りが現在の喧騒となる以前の話で、何か目的があって行くにしても原宿駅も代々木口ならいざ知らず、竹下口となると駿台予備校の原宿校舎ぐらいしかなかった。ともあれ、今回用があるのもまた、竹下口ならぬ代々木口の方だ。つくづく、原宿という場所には縁が無い。

改札に向かう途中、会場がオールスタンディングであることを思い出した。横断歩道橋を下りて、岸記念体育館の角を曲がると、会場が見えてきた。会場の脇を通ると、凄まじいカズのコインロッカーの行列が見える。助かったと思うと同時に、コインロッカーでも儲けようとするこのホールの商魂のたくましさを知る。利用料金も300円と高い。原宿駅のロッカーは100円だったのにだ。余裕を持ってでてきたのだが、ロッカーに使う100円玉の両替などで手間取り、開演寸前の入場となった。

さて、開演である。
彼を一言で言えば、「ギター弾き語りの天才」という事になるが、それではあまりに使い古された言葉だし、だいいち具体性が無い。他のアーティストを引き合いに出せば、次のようになる。

彼の声はスティーヴィー・ワンダーの声に似ているが、ヴォイス・トランペットも含めたその音色は、スティーヴィーよりも多彩である。さらに音域の広さは、ボビー・マクファーリンに迫るものがある。

次にギターだが、タッピングという奏法を多用する。これは、右手の指の頭で弦を叩いて音を出す弾き方なのだが、アコースティック・ギターから音を拾うマイクの技術が発達するにつれて、多用されるようになって来た奏法ではないかと思う。マイケル・ヘッジスや押尾コータローが使っていることでよく知られているが、彼らが変則チューニングで使っているのに較べて、ラウル・ミドンは、おそらく限りなくノーマルにチューニングしているように思う。

あまり使い古されて手垢のついたフレーズで書くのも嫌になるのだが、「ギターは小さなオーケストラ、これ1台で独奏も伴奏も合奏も出来る」などと言い方がある。マイク・ピックアップの技術の発達は、タッピングだけじゃなくて、ギターの弦を上から叩く奏法で、打楽器のようにも聞こえる。この日の前座のお姉ちゃんですら、掌でブリッジの近くの弦を叩いていた。

ラウル・ミドンの場合、タッピングにタッピング・ハーモニクスという音叉を叩いたような音が入り、さらにはヴォーカルにヴォイス・トランペットも加わるから、さながらワンマン・バンドの様である。

手元にある日本でのデビューアルバム「The State of Mind」のライナーノーツを見ると、ニューメキシコ州の小さな町でアメリカ人のプロのダンサーを父と、アルゼンチン人の母を持つ彼は、生れ落ちたときは未熟児だったので保育器に入れられた。ところが、アイマスクをしないで入れられたために、彼の目は永久に光を失ってしまったという。ハンディを背負いながらもマイアミの大学を出たのは、もしかして、そのときの損害賠償として、毎年、何がしかの年金をもらっていたのかもしれない。

プロ生活は意外に長く、ダニー・ハサウェイが生きていた頃からラテン・ミュージシャンとして活躍していたらしい。何かのミュージカルの一場面で、彼の弾き語りが評判を呼び、さらに大勢のスーパースタートも知り合いになる。彼の歌い方からも強く影響を受けていることが窺い知れるスティーヴィー・ワンダーともその頃に知り合い、やがてニューヨークに出て行くようになる。アルバム「The State of Mind」は、彼のファンが待ちに待ったメジャー・デビューである。

私が始めて彼を知ったのは、昨年の夏、車に乗り込んでカーラジオが音を出し始めた途端に、心にピピンッと引っかかるものがあり、カーナビのディスプレイの「見えるラジオ」にオンエア曲のタイトルとアーティスト名が表示されるのを待った。「The State of Mind」「RaulMidon」見慣れない名前が表示された。

それから1週間、私はその曲と名前を忘れてしまっていたのだが、翌週同じ時間のその番組に、今度はアルバム「The State of Mind」の初回限定のボーナストラックになっているライブ映像の音声だけがオンエアされた。この「The State of Mind」はロング・ヴァージョンで間奏(?)のギターソロとユニゾンする彼のヴォイス・トランペットのかっこ良さに度肝を抜かれた。ギターの奏法も、タッピングが多用、且つ巧みに取り入れられていることに気づいた。

曲名とアーティスト名を再度確認して、今度は忘れずにネットで検索してみた。同時に、e−plusにも登録しておき、来日公演があれば、すぐに引っかかるようにしておいた。後で知ったのだが、初来日ではないらしい。

登録の効果が現れたのは暮れになってから。この日の遅いほうの公演のプレ・オーダーの知らせが届いた。申し込みはスムーズに行き、後日、当落選の連絡が行くとメッセージも届いた。ところが、それから数日、仕事が凄く忙しい日が続いてメール・チェックが出来なくなり、前の日のメールを翌日の夜になってチェックする日が続いた。e−plusからの当選通知には、支払期限が書かれてあった。メールをチェックした日の昼までが期限だった。悔しいが落胆する間もないくらい忙しいときだった。

それが週末になって、事態は一変した。追加公演があるという。しかもだ、日曜の5時からの開演である。前の時は、7時からの開演で、アンコールまで見るとなると、会場を出るのは9時を大幅に回ってしまうことは避けられなかった。どうやって、月曜の朝までに家に帰り着く方法が無いものか?と思っていたところだ。その点、追加公演のほうは5時からで、2時間の公演でも、7時過ぎには会場を出られることになる。これは、願っても無い話である。

むしろ、前のときに申し込んでいたら、この追加公演のせいで、ステージの終了が後ろにずれ込んでいた訳であるから、人の運と言うのは、ついている時はこんなもんだと思った。

さて、ライブの感想だが、いや素晴らしい歌とギタープレイを充分に堪能した。一つ心配だったのが、CDを聞いた限りではギターの音が小さくて、普通の爪弾く奏法と違って、充分に場内に聞こえ渡るのだろうか?ということだったが、杞憂だった。

それもこれも、ピックアップの技術が格段に進歩したせいだ。大昔、ジェームス・テイラーが当時のピックアップの音に満足せず、ヴォーカル・マイクをギターのサウンド・ホールから中に突っ込んで音を拾おうとした際に、ハウリングするのを恐れてサウンド・ホールを厚紙で塞いだが、結局失敗に終わった事件があったことを私は雑誌などで読んで知っていたので、生ギターの音を拾うのは、かなり難しいという既成概念に凝り固まっていた。それを打ち破ったのが、昨年暮れの押尾コータローのライブ・パフォーマンスだった。

たしかに、生ギターの音色をマイクで拾うと、音の減衰の度合いが生で聞く場合と違って、極めて少ない。このエレキギターみたいにいつまでも音が伸びるのが気になっていたのだが、逆手にとって、タッピングやハーモニクスを多用しても、音は広い会場を響き渡るし、タッピングやタンボーラの時には、パーカッションのように聞こえるメリットをもたらした。

そこに、照明や音声にエコーのエフェクトをかけて、ギタープレイを派手に見せるのが押尾コータローだが、ラウル・ミドンのスタイルには、照明の変化もエコーもそれほど必要ではない。歌っているときは伴奏に終始するのだから、それもむべなるかな。

圧巻は、ヴォイス・トランペットとファルセットとの掛け合いで1音1音、それが入れ替わるパフォーマンスで、本当に一人かよ?と目の前で行われていることさえ疑いたくなってしまったのだ。

たしか、ライブ映像のラウル・ミドンの「The State of Mind」は、ネット上でも見ることが出来たはずだ。一度、見てみてください。アメリカのエンターテイメントの底の深さを感じるはずだ。