この1週間の出来事

…と、全部書こうとすると、とてつもなく長くなるので、最も印象的だった一日は、やはり1月29日だったので、その日のことを書こう。
これは、昨年暮れに、ようやく手に入ったチケット、ラウル・ミドンのライブを見るための上京であったのだ。
ところが、年が明けて、同期のKさんの訃報が飛び込んできた。彼女の通夜と葬儀はウィーク・デイであったために、どうしても都合がつかないので、出席は諦めたのだった。

まあ、それでも1月の末には上京するのだから、そのときにお宅にでもお邪魔して献花でもと思っていたのだが、さて彼女のご遺族とは全くの初対面で、いきなり私なんぞが押しかけて行って、怪しげな印象を与えはしまいかと、不安になっていた。私が上京すると聞いて、オフクロも「男のお前なんぞが行って、先方様も、なんぞ勘ぐりはしないか?」と一応反対したが、まあ逆に、私と彼女は、本当に何も無い仲だっただけに、率直な気持ち、友人として別れを惜しみたいと思っていた。

それでも、休日を楽しんでいるところをいきなり押しかけてはご迷惑だろうと、途中でアポイントを入れると、快く受け入れてくれた。

世田谷線上町の駅を降りて、線路を渡ってすぐのところにあるとは聞いていたが、どんな家かは知らなかったので、勝手にアパートの1室を思い描いてしまっていた。さてどの部屋かと郵便受けを見ようとするも、最近はどうも無用心なせいか、アパートの郵便受けに名前を書いているところが極端に少ない。

さて困ったと、近所を彷徨い始めたところ、Kさんの苗字の表札がかかった一軒家が目に入った。今さらながらに、自分の思い込みの酷さに、恥じ入るばかりだった。

Kさんのご主人は物静かな人で、会話をしようにもその糸口に困ってしまうし、お通夜に出た友人たちも、何か失礼なことを言ってしまったのではないかと、みな口々に言っていたというが、前評判に反して決して話しにくい人というわけではなかった。

案内されて家の中に入っていくと、そこには小さいながらも未だ祭壇が飾られていて、遺骨は納骨されないまま置かれていた。そして、真ん中にはもはやそれでしか彼女の姿を拝めないとばかりに、遺影が飾られている。それにして、相変わらず、遺影の中の彼女は、嬉しいのか哀しいのか意味不明な表情を浮かべている。でも、胸元にサングラスを引っ掛けて気取ったポーズをとっているところを見ると、いやな気持ちであったわけではないようだ。

献花と焼香のあと、リビングに招かれてコーヒーをいただいた。相手してくれたのは、ご主人のほかに、おばあさん。(故人の母親と後で分かる)「どちらのほうから、いらっしゃいましたか?」と聞かれて、私が「新潟の新発田からです」と答えると、ご主人は自分が秋田の出身という。なるほど、夫の家の墓に納骨となれば、故人には縁もゆかりも無い土地に一人葬られることになる。それを嫌って、新たに近くに納骨しようというわけか。しかし、都会は場所も無いという事だし、苦労されるんだろうなと思った。

その後、残された2人の娘の今後のことの不安や期待、家の中にどんなものがあるのか、まったく任せっ切りだったために、モノのありかが分からずに苦労している話などを聞いた。私は、今年の年賀状に「今年も頑張りましょう」などと書いてあったので、まさかこのようなことになるなどと思いもよらなかったことや彼女の1年下の後輩にも最近乳がんで亡くなった人がいたことなど、一通り話した後、その場を辞去した。

妻に先立たれて混乱はしているものの、2人の娘を抱えて前向きに生きようとしているご主人よりも、娘に先立たれて完全に萎れ切っている故人の母上の元気の無さがとても気にかかった。

さて、主目的のライブの件だが、長くなったので翌日に回す。