久しぶりに文藝春秋を買う

文藝春秋 2005年 07月号

文藝春秋 2005年 07月号

*本
「JR福知山線の事故」の記事について読んでみたかったことがあったのだ。厳しい「日勤教育」って、本当に運転士にプレッシャーを与えていたのだろうか?ッてこと。青沼氏と取材班の記事によれば、日勤教育を受ける乗務員は月に1人くらいは出ているらしく、特別、それがプレッシャーを与えていたようではなかったように読める。

事故を起こした運転士は、車掌時代に2度、運転士になってから1度、計3回の日勤教育を受けている。巷間伝えられている「草刈り、ペンキ塗り」のような懲罰的な雑用を課すようなものではなく、もっぱら自己の内面に向けて、反省を促すような文章を20通も書かされたらしい。

「厳しい」とは言うものの、運転歴2週間の彼がこのとき犯した規則違反は「10秒の遅れを取り戻そうとして、回復運転を試みながらも、なぜか(若干眠気も感じていたらしい)通停確認を怠るほど集中力を切らし、オーバーランによってATSを作動させてしまい、遅れを8分にまで広げ、オーバーランと報告せずに、1度入れたブレーキを緩めてしまったとウソの報告をしたのがバレた」という、今回の事故を予感させる行為をしていたのだった。また、車掌時代の日勤教育を受けた理由も非常ブレーキをかけるべきときにかけなかったり、居眠りを指摘されたりと、まあ、プレッシャーが原因と言うよりも、「たるみ」が原因でミスをして、それを取り戻そうと違反やミスや虚偽報告を重ねると言うパターンが見受けられる。そういう「たるみ」に対して、厳しい「再教育」がされるのは、無理もないと思う。

問題は、その「教育」とやらの内容ではないのだろうか?草刈りやペンキ塗りなどは論外だが、反省文で追い詰めるだけで、運転士の「たるみ」が矯正できるのだろうか?それに、「これほど未熟な運転士をなぜ過密ダイアの路線に投入するのか?」「未熟を通り越して、不適格者と判定できなかったのか?」と、前から疑問に思っていたのだが、どうもこの日勤教育の反省文を読んでいると、キレイ事が並べられているに過ぎないと思えるのだ。また、この運転士の勤務評定についても、「はつらつとした態度」「持ち前の明るい性格」などというキレイ事が並んでいて、運転士の資質に関する重要な評定が行われていないように思う。JR西日本は懲罰的な再教育はやめて、実技的なトレーニングを中心にしていくそうだが、「たるみ」は実技トレーニングで矯正できるのだろうか?

また、組織的な問題は無いのだろうか?この運転士が3回目の日勤教育を受ける前夜、運転士仲間が、この新人の日勤教育のための激励の宴会を開いていたらしい。酒を飲むなとは言わないが、彼の規律違反の重大さを軽視しすぎてはいなかっただろうか?私は、人間が成長するには多少のプレッシャーは必要と思う。

アメリカ空軍には、「優秀な戦闘機乗りを育てるため、訓練期間を短くした」と言う実績があるらしい。これは、「早く戦場に送り出せ」と言うことではなく、「不適格者は排除する事によって、適格者だけを採用する」と言う意味らしい。「愛と青春の旅立ち」という空軍士官学校の映画では、士官学校付きの軍曹が、士官候補生に向かって、「お前たちの欠点を探し出してやる」「お前たちがパイロットに不向きなことを証明してやる」と事あるごとに言い、プレッシャーをかけ続けていたっけ。

愛と青春の旅だち [DVD]

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この外の記事では、「小泉総理『靖国参拝』是か非か」が面白かったです。各界の著名人に意見を求めたもので、意外にもナベツネと意見が合いました。戦犯とされた人たちが、戦勝国に対して責任があるかどうか以前に、日本国内の言論を弾圧し、無謀な戦争に突入して、国の舵取りを誤った責任はあると思います。また、これも意外だったのは、昭和天皇今上天皇、両者ともA級戦犯が合祀された後は、中国や韓国から言われる以前から参拝はしていないと言うこと。昭和天皇自身の戦争責任は?と言う疑問は残るものの、彼自身は賛成ではなかった(つまり積極的に反対しなかった)という戦争に突き進んだ連中に対してのわだかまりがあると言うことなんでしょうね。

各界の著名人ということで、おっさん・おばはんばかりで、一番若い人が竹内久美子?それ以下の若い人の意見が載せられていないというのが気になりました。これはもしかして、学校の歴史教育の影響を強く受けすぎていないか?と言う懸念からなんでしょうか?彼らはあまり発言したがらないまでも彼らなりには意見を持っていると思うのですが…