マリー・アントワネットの名誉のために

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と、若い同僚に語ったら「電話回線が無いなら、光回線使えばいいじゃないすか」と。お前はマリー・アントワネットか。パンもケーキもないの!

別に、記事にケチをつけようというわけではないから、彼のファンの奥様方には、その辺を了解しておいてもらいたい。

写真は、ブリオッシュというパンである。フランスパンに関する本を読んでいて見つけたのだが、このパンは元々、ノルマンディー地方のブリー・チーズでその名を知られているブリーという地域で、「お菓子」として食べられていたものらしい。地名もそのブリーという地名が由来しているという。

感の鋭い方はもうお判りかと思うが、「パンが食べられなければ、お菓子を食べればいいのに」と言われた「お菓子」とは、実はこれをイメージしていたらしい。フランス王国の、しかも宮廷での話だから、さぞかしクリームたっぷりかチョコレートでコーティングされた豪華なお菓子を想像してしまいがちだが、まさにこんなシンプルな姿の食べ物だったというのだ。いずれにしても、「食べ物が無くて、飢えている」という意味で、デモの群集はそう訴えていたのだから、いくらシンプルな姿の「お菓子」といえども、食することは不可能だったに違いない。

ところで、例の「パンが食べられなければ、お菓子を食べればいいのに」と言ったといわれるのがマリー・アントワネットであるというのは、実は私もそう聞いたことがあって、そう思っていたこともある。ところがこれ、どうやら俗説らしい。いくら世事に疎い王妃様とはいえ、パンが食べられなければ、他の物だって食べることが出来ないことぐらいは気がつきそうなものだ。それでも、実際にそう発言した高貴なご婦人というのは、いたようなのである。

では、なぜマリー・アントワネットにその「嫌疑」がかけられたのだろうか?

様々な資料によれば、財政危機に陥ったルイ16世が任命したネッケルやテュルゴーの財政改革に猛反対したのは、「王妃や貴族たち」とある。さらに、課税を強化されたことに不満を持った貴族たちは、三部会を開いて王権を制限しようとした。王妃と貴族は、財政改革反対までは意気投合していたものの、王権の制限までくると対立していたと考えられる。まあ、これは想像だが、経済危機による重税を課された上に、食糧難にまで苦しめられた平民階級の不満の矛先を、貴族たちが国王一家に向けさせようと画策した可能性は十分ある。贅沢したさに、財政改革に反対したくせにね。

さらに、フランスパンに関する本を見ていたら、マリー・アントワネットさん、ドイツ・オーストリアあたりの食文化をフランスにかなり持ち込んでいたようだ。例えば、写真のクロワッサンやクグロフなどがそれだ。

そういうところで名を馳せると、思わぬ落とし穴が待っていると思う。「まあ、さぞかし飽食していたに違いない」などという噂も立つだろう。実際、贅沢の限りは尽くしていたようだからね。そこで、あんな心無い発言が、王妃からのものであるという風に結び付けられた可能性もある。

それでも、マリー・アントワネットがフランスパンの歴史に名前を残しているのは、全てドイツ・オーストリア由来のパンであるのに較べて、ブリオッシュはノルマンディー地方の食べ物であることから類推して、この俗説は「濡れ衣」臭いなと思う。