最近の私(クリスマス以後大晦日まで}

12月26日、クリスマス当日の晩は商店街の売り出しの反省会と称して、近所の飲み屋街にあるクラブで生バンドの演奏を楽しんだ。演奏は、わが町で最も実力派といわれたジャズフージョンバンドのベーシストのK氏と素性は分からないけど遠目にはジェームス・ブラウン似の外人さんのピアノとヴォーカル。
店の食い物があまり良くないので、少々飲みすぎてしまった。少し酔った頃、JB似のオッサンがレイ・チャールズの「What'd I said?」を歌い始めたので、コーラスの部分の掛け合いをふざけて一緒に歌っていたら、今日になって喉が痛くなってしまった。ちょうど耳鼻科の薬を切らした時期だったので、医者に喉の痛いことを告げると、抗生剤やらうがい薬やらがたくさん処方箋に書かれてあった。
ウチの隣は調剤薬局で店長が、いつもの処方箋より多くの薬が処方してあるものだから、「また、余計なことを言ったね?」と言われた。医者に行って、悪いところを伝えるのを「余計なこと」というのもおかしな話だとは思うが、急にたくさんの薬を処方されると、店頭でお金が足りないと言う事態もあり得るので、医者に与える情報もコントロールが必要だ。

12月27日、喉の痛みは一夜にして退いてしまった。たくさんの薬が無駄になり、やはり「余計なこと」だったかもしれない。
前から試していたのだが、どうもプリンターが不調で、あれこれ試したが、どうも改善の見通しが立たない。そして、ココへ来て、年賀状印刷のためにはもう「待った無し」の時期になってしまった。ココはやはり、買い換えるしかないかもしれない。だいたいこのプリンターは、突然休止状態になって動かなくなってしまうケースが多くて、そのくせ、動き出すと重複して印刷したりがあって、不満が多かったのだ。
羽越線の特急「いなほ」の脱線事故のニュースはショックだった。上越新幹線が開通する以前は、「とき」よりは「いなほ」の方が、乗り換え無しで東京までいけるので便利だからよく利用していた。また、上越新幹線が開通した後も、新潟まで急ぐときは使っていたので、そういう電車の事故と言うのは、どうも他人事のように思えない。
強風による電車の脱線と言えば、私が東京にいた頃は、地下鉄東西線脱線事故、その後は京都府の余目線の余目鉄橋での事故が記憶にある。ネット配信のニュースによれば、問題の鉄橋には風速計が無く、強風に巻き込まれることも知らないで、電車は100キロほどの速度で走行していたらしい。羽越線は、地吹雪が吹くところが多いところで難所は多いはずだが、危機を予め予測するセンサーを持つことは、危機管理の基本だと思う。
それにしても、この秋からの天気は、ちょっと異常だ。うちの街でも落雷が多くて、12月の初めには我が家に引き込む電話線が、落雷のためにやられてしまって電話が不通になり、納入先の客からの指摘で初めて気がついたほどだった。地震などは発生するメカニズムが違うからやむを得ないが、落雷・突風・豪雨・大雪、そういう天候に由来する天災が多すぎる気がする。天候に由来するからには、それに影響を与えるのが気温上昇であることは、なんとなく予感できる。
わが日本は京都議定書に調印しておきながら、そのノルマを達成するどころか、逆にCO2の発生量が増えている状況にある。「京都議定書の求めるところが、現実的ではない」と指摘する勢力があるらしいが、その主張と日本の現状を踏まえるならば、最悪の場合、「温暖化していく現実の中で生き抜く」術をも考えねばならないだろう。悪天候に強い車両、施設を考えるほか、悪天候を予報するシステム、危険を犯さない運行規定の改定などが臨まれるのではないだろうか?

12月28日、考え抜いた末、新しいプリンターの購入を決意する。
思えば、最初はエプソンのプリンター、そこからキャノンに乗り換えたのは、エプソンを買った頃は「優香」が、キャノンのときは「伊藤美咲」がCMのモデルだったからのような気がする。そこで、今回のモデル比較「長沢まさみ(エプソン)」VS「長谷川京子(キャノン)」。個人的な好みの問題で「長沢さんの勝ち」としたかったが、もう少し良く考える必要も感じる。
店頭のPOPもエプソンの商品が一番売れていることを告げているが、「給紙のし易さ、私(のPC)との相性の良さ」を考慮して、不本意ながら「長谷川さんの勝ち」となった。
年賀状の絵柄を印刷したいことから、カラー印刷のグレードの高いクラスを選んだのだが、ちょっと考えの浅いことに気がついた。それは、機械の寸法である。通路や部屋の入り口などあらゆるところで、箱がつっかえる。部屋の現状を考えると、私の部屋だけではなく、他の部屋に運び出すことも想像すると、この大きさはちょっと心配である。
プリンタ・ドライバのインストールは、思ったよりも時間がかかったが、順調に終了した。ただ、インクタンクからカートリッジへのインクの移動がかなりの時間を要した。
テスト印刷も終わったので、さっそく宛名印刷をしてみることにした。データの読み込みに多少時間はかかったものの、印刷し始めてからはあっという間に終わった。印字の鮮明さは極めて良好だが、書体のスタイルはプリンタ固有のものではなくソフト特有のものだと思うのだが、なんか以前のプリンターとは別物のような気がする。ともあれ、個人分80通、親戚・商売用90通の宛名印刷を無事終えることが出来た。後者90通は、既にこのまま送ることが出来る。少し安心。
その後は、個人分の裏面印刷のデザインを考える。楽しいので、ついつい夜の更けるのも忘れてしまう。ほどほどで止めておかなくてはならない。4種類ほど考えて就寝。

12月29日、まず、親戚・商売用の90通を投函。そして、年賀状の裏面印刷。
意外にも、プリンターの起動とデータの読み込みに時間がかかる。プリンターは起動させっぱなしにしておけば、起動の事を考える必要は無いが、データの読み込みの遅さは、どうもUSBポートのヴァージョンの古さによるものだ。PCを買い換えるかメモリースロットに新しいヴァージョンのUSBポートを新設するしかないが、これ以上お金はかけたくない。このまま、4種類の印刷をし終える。
さて問題は、1通1通に添える短信コメント。裏面デザインを4種類にしたのは、自分の交際範囲を分類してみたからだ。大きく分けると、大学サークル時代の友人たちと地元の仲間や多少商売が絡んでいる人たち。
商売がらみの人たちは、殆どコメント無しで、出来合いのものの中でも優れたものを選んでおいたので、印刷したらすぐに投函するつもりだ。大学のサークルには、フラメンコ絡みであるか否かで分けた。それで4種類。
地元の友人たちは、それぞれにコメントを考えなければならないが、中学の同級会であった人たちの中には、同級会の席でもあまり言葉を交わしていない人もいて、どうしてもコメントを思いつかない人もいる。そういう人には、残念ながらコメントがつけられない。それ以外の人には、それなりに話題が持てた事もあり、コメントには困らない。
コメントに困ったのは、大学のサークルに友人たち。話題はあるのだ。「OB総会でのこと」「後輩のプロ活動」「サッカー」「競馬・有馬記念」などなど。書きたいことが多すぎて、とても短信では済まない人もいる。同じ「OB総会」の話題でも、それぞれに立場の違いもあるので、1人1人に話題の振り方にも工夫をつけたつもりだ。これに、エライ時間がかかった。夜半過ぎに終了。

12月30日、午前中の仕事の後、郵便局に年賀状の投函をし終えた。地元以外は元旦の配達に間に合わないかもしれないが、年内に出し終えたのには、ほっとした。
そのほっとしたのも束の間、オフクロが郵便簡易保険の証書を紛失して、荒れている。最近、かなり物覚えが悪くなってきており、いろんな物を無くす。そのイライラを周りに当たり散らすから困ったものだ。
保険の証書は、大事なものだからと良く仕舞い込んでしまって見つからなくなることが多いと言う話を、私の保険の担当者さんに聞いていたので、再発行は可能だろうと言うことだが、問題はこの保険が満期を迎えていると言うことだ。
オフクロの心配は、いつでも換金可能な証書を誰かに拾われてしまったら一大事というわけである。でも、一度も家の外には出したことが無いのなら問題無いと思うのだが、不安と苛立ちが先に立ち、他人に当たり散らすのだ。
特に、郵便局に年賀状を出しにだけ行ったと言っては私を責める。つまり、対処方法を聞いてきて欲しいというのだが、お願いもしないうちに、それに気づけと言う無茶を言う。しょうがないので、銀行でお金を両替しに行った帰りに近所の特定郵便局で質問してやることにした。
郵政民営化では「槍玉に挙げられている」と不安を煽られていた「特定郵便局」だが、これは反対派にコントロールされた情報を聞かされてきているに過ぎない。ただでさえ「不便な地方の」特定郵便局を無くしたら、民営化後のライバル会社に負けてしまうだろうから、地方での廃止はあり得ないと思う。問題は、都心の数十メートル単位の範囲で集中する特定郵便局や東京駅前の一等地にある中央郵便局や不採算な「簡保の宿」、激安の家賃で住める都心の官舎などの存在の方が問題なのだ。
それでも、無能な特定郵便局長に有能な課長の組み合わせって、わが町でも例外ではなかった。てきぱきと親切に教えてくれる女性課長に較べ、特定郵便局長は手持ち無沙汰らしく、さっさと昼飯を食いに出かけてしまった。まあ、私としてはこの課長さえ居れば良い。今日のうちに書類を作って、手続きを済ませれば、新年、多少郵便事情の関係で到着は遅れるかもしれないが、金券を持って、郵便局に出かけられると言う寸法だ。彼女に教えてもらったフォーマットで「亡失届け」を制作して、その書類さえも無くしてしまわない今日の内に届けの手続きを済ませておくことにした。
「忙しい」と意地を張るオフクロを説き伏せて、手続きを終了。
私は、年内最後の散髪へと出かけた。

12月31日、毎年手間取る「神棚の掃除」も早々に済ませ、年内最後の納品も終えて帰る途中、本屋で雑誌を買ったとき、新しい年用の手帳が欲しくなった。重要なデータを毎年書き換えていたのでは能率が上がらないので、ついつい交換が必要な部分だけを買い換えることの出来るシステム手帳が欲しくなる。
しかし、高価な上にデカくて鞄に入らないのがシステム手帳。ぐっと堪えて銀行からもらった手帳で我慢する。
毎年大晦日の夜は、兄の家で過ごすのがわが家族の習慣だ。招かれた御礼に、私は乾杯用のシャンパンかスパークリング、すき焼き用にフルボディの赤ワインを持っていく。兄の家側からは、料理が提供される。今年のスパークリングは、ジュリアン・メイエのクレマン・ド・アルザスの"ゼロ"。ピノ・ノワールの重厚な味わいのスパークリングだった。赤ワインはメドックのフォール・ド・ボーバン76年。これは、この年代の酒にしては、4千円前後で買えるフル・ボディだ。