*[フラメンコ] フラメンコとはいかなる音楽か?2 「拒絶と寛容」

さて、今日、私たちがスペインの音楽というと、躊躇うことなくフラメンコを挙げると思うが、それはスペイン以外の国の人間の反応で、スペインでフラメンコが盛んに演じられているのは、アンダルシア地方周辺だけなのだ。ただし、重要な観光資源としては認識されおり、マドリードバルセロナでも見ることは出来る
余談だが、日本国内でフラメンコ関連のイベントがあるときは、スペイン大使の推薦文をもらいに行くイベントの関係者が多いようだ。一時期、駐日スペイン大使にバスク地方出身の人が就任していた時期があり、その人の推薦文の最後には、「スペインでフラメンコが盛んなのは、ごく一部であり、そのほかにも素晴らしい音楽があります。私の故郷のバスクでは、ホタという音楽が盛んです」という一説が必ず添えられていた。

スペイン国外で、まるでスペインを代表する音楽のように思われているフラメンコが、なぜ国内では思ったほど受け入れられていないのだろうか?

ヨーロッパではサッカーという競技が盛んだが、今年は夏にはドイツでW杯が開催される。W杯では、各国の代表チームに選ばれた代表選手が集まって、その国の最強チームを作ろうとして出て来る。ところが、選手が寄せ集めだけに、普段から一緒にプレーしているクラブチームのプレーの方が、連繋も上手く繋がり、サッカー全体から受ける印象も、クラブチームの内容の方が良い。それは、毎年繰り広げられているUEFAチャンピオンズリーグというカップ戦の世界最高峰を見てみればよく分かると思う。

日本のサッカーでは、代表の試合では殆どいつでも満員の入りだけど、Jリーグの試合で満員になるのは、新潟や浦和以外では殆どない。あのように、日本と違ってカップ戦が盛り上がるのは、欧州の人たちの意識の根底にあるのは、国家という意識よりも、自分の住んでいる地元という意識の方が強いからなのだと思う。これは、サッカーのみならず、音楽のような文化にも言えることだ。

フラメンコを重要な観光資源と認めているなら、「国を挙げて」とは言わないまでも、少なくとも国益を代表する駐日スペイン大使ぐらいは、フラメンコという文化の輸出にもっと積極的になっても良さそうなのだが、バスクの…ホタの…と地元贔屓になるのが欧州なのだ。

新大陸からの寄港地が数多くあるアンダルシアは、外から入ってくる文化に極めて寛容なのだろう。港町が排他的なら、港町として成立し得ない。一方、国内のそれぞれの地域は、近親憎悪的に対抗意識があるから、スペイン各地方では極めて地域色の強い音楽が独自のガラパゴス的進化を遂げる。そんな中でも、多様な文化を取り込んでいるアンダルシアの音楽は、国内の他地域では拒絶されながらも、音楽そのものにもグローバルな寛容さがあるために、世界中の国からも受け入れられやすい何かがあると思う。