現代(いま)の鍛冶屋

今月の途中から、毎日配達することになった新しい納品先がある。ほぼ毎日のことだから、月間の集計をすると、けっこうな金額になりそうだ。こんな仕事が、後5・6軒あれば、楽なのだが・・・・・・

ともあれ、今日は今月の途中の分からなのだが、最初の集金日である。

首尾よく、集金を終えてきたわけだが、ところでこの納入先なのだが、最初に問い合わせがあったとき、「○×たんこう」と名乗ってきたのだが、「たんこう」などと聞くと、うっかりすると「炭鉱」を連想してしまい、正解の「鍛工」という熟語はなかなか浮かんでは来ないものだ。

実際に文字を目にしてみても、「鍛工?とは、なんじゃいな?」と一瞬考えてしまうが、現場に着てみて、初めて、「なるほど鍛冶屋さんじゃないか」と、分かった次第である。


それにしても、「しばしも休まず鎚撃つ響き」という唱歌の「村の鍛冶屋」の歌詞にあるとおり、鎚音はしばしも途切れることが無い。ただし、その音たるや唱歌の歌詞のような長閑さは無く、巨大な重機械による作業のために、物凄い音が、辺り一面に響き渡っている。喩えて言えば、「70年代初めごろの建設現場の基礎工事のパイルの打ち込みのような音」というのが、適当かもしれない。もっとも、最近のパイルの打ち込みは、非常に音が静かなので、当時の様子を知らない方々には、適当な比喩とも思えないのですが……

鍛冶屋さん、鍛冶屋さんと言っても、実際に鍛冶屋を(現代のにしても、昔の長閑な鍛冶屋にしても)ご覧になった方は、最近じゃあ、あまりいないのではないかと思う。そういえば、街中に鍛冶屋さんなるものが消えて久しいのではないか?

鍛冶屋が唱歌の歌詞にあるような長閑な鍛冶屋さんだった頃は、仕事の内容といえば、馬の蹄鉄や農機具の修理などが主だったのかもしれないが、馬は自動車に取って代わられ、農機具は機械化されてしまい、修理は鍛冶屋よりも機械屋が部品交換で直すようになってしまった。

むろん、鍛冶屋だって、座して仕事の無くなっていくのを受け入れていた訳じゃない。と言うよりも、経済成長期の初期にはむしろ工業用製品の製造の仕事が増えたはずだ。大量生産、機械の大型化が始まり、もうハンマーでトントンカンカン叩いていたのでは間に合わないし、続かない。

機械は自動化し、大型化して、鎚音は馬鹿でかくなる。「鉄は熱いうちに打て」の言葉にもあるように、工場内は熱気が充満するため、とても人様の迷惑にならぬようになどと窓を締め切って防音に勤めるわけにも行かないし、窓を閉めるぐらいじゃ、どうにもならない。

かくして、現代の鍛冶屋さんたちは、こんな町外れに移転し、集積しているわけだ。それにしても、この工業団地が、こんなにも活気に満ちてたっけ?と思うのも無理は無い。円高や人件費の高騰で競争力を失った日本の鉄製品は、バブル以前から不景気だったはずではないか?

そういえば、くず鉄の買い取り価格が高騰していると聞く。ここ1ヶ月ほどは低迷しているとは言うものの、製鉄・鉄鋼株もちょっと前までは好調だった。3年前からの景気回復の波が、ようやくこの片田舎の地にまで影響を及ぼし始めたのかもしれない。だとしたら、それはそれで嬉しい話である。