給水の悪知恵

ネット上にある記事ではないのだが、13日の日刊スポーツの記事に、イングランドの代表チームがFIFAに質問状を送ったという。

先のパラグアイ戦の途中、試合中に給水のためにピッチの外に出ることを禁じられたので、中断したときに、サイドラインから遠い選手には、コーチからボトルを投げ渡そうとしたのさえも線審から阻止されたことについて、「選手の健康状態を考えて、ルールの柔軟な適用は考えられないか?」という内容らしい。


ルールでは、許可無く給水のためにピッチの外に出ることは出来ない。出た場合には、主審から許可が得られるまで、ピッチの中へは戻れないらしい。

イングランドや日本の協会では、選手たちの健康を考えて、気温の高い日には、頻繁に給水することを奨励している。実際、A代表に限らず、ユース世代でもアジアの暑い地域での試合に勝たなければ、世界大会への出場が叶わない日本の場合、給水の知識が大いに役立っている。

ところが、この大会での審判団は、給水のための試合中断を殆ど認めない、厳格なルール遵守を求めている。

猛暑の中で水分補給が充分でない場合、人間の体は危機的状況に陥ることを私は目撃したことがある。

サッカーの場合で無くて恐縮だが、高校で野球をしていた私は、夏合宿の練習中に、一人の後輩が外野でうずくまっているのに気がついた。声をかけても答えることが出来ないほどの衰弱振りで、手足が伸ばせないほど筋肉が痙攣状態にである。病院に運ばれた彼は、点滴と水を飲むことで、簡単に回復したのだが、実はかなり危険な状態だったらしい。

当時(30年前)は、野球部に限らず運動部全般に「練習中に水を飲んではならない」が、不文律としてあった。夏の全国高校野球大会の宿舎では、「選手の健康管理は、水を飲ませないこと」が、あたかも「成功の秘訣」の如く語られていたものだった。

ところが、私が高校を卒業した翌年辺りから、状況は一変した。全国の運動部で熱中症などで倒れる選手が急増した。なかには、死亡した子もいる。私の母校でも、野球部ではないが女子生徒が心不全で死亡したと聞いた。

急増した原因を求めるならば、一つには食生活の変化もあるだろうが、私と私の1〜2年下の連中との食生活で、さほどの違いがあるとは思えない。私は、医師の診断でそれぞれの症状で導かれるのが、給水不足であることが指摘され始めたことが原因ではないかと見ている。

つまり、それまでは熱中症なら「軟弱なやつ」と一蹴されていたり、心不全なら「元から弱いやつだった」と決め付けられていたものが、新しい医療の知識の変化で、それらの延長線上には「水分不足」があることに気づいたからではないかと思うのだ。

それに、高校野球の件だって、「水を飲ませないこと」じゃなくて「生水を飲ませないこと」が正しいのではないだろうか?とかく遠征先では、体に合わない水に出会うものだからだ。

給水不足は、指導者の認識不足でのみ起こる訳ではない。今も記憶に残るのは、福岡でアジア大会が開かれたとき、女子マラソンで先頭を軽快に飛ばしていたマラソン経験が少ない選手が、突然倒れて痙攣し始めた事件だ。経験不足で、必要な水分を取るのを忘れるぐらい走りに集中していたらしい。

当時、ベルマーレ平塚のヘッドコーチだったニカノール氏は、選手を集めてこの映像を見せて、「水分が欠乏すると、人間の体はこうなる」と「水分補給の大切さ」を力説したという。

さて、豪州戦で途中退場した坪井選手だが、やはり両太ももが物凄い痙攣状態だったらしい。原因を審判団の硬直化したルール遵守に求めるのか?試合への集中のし過ぎに求めるのか?

むろん、ルール遵守は両チームに公平に影響を及ぼすわけだから、これをもって日本代表の不利を主張するわけではないし、審判団にしても、ここまで守ってきたルール適用の基準を、大会途中で変えるのには抵抗があるだろう。

となると、選手には悪知恵が必要になる。

例えば、ファールを受けて倒れたときには、猛烈に痛がって担架の導入を要請する。そのとき生じたブレークを巧みに利用して、他の選手も一斉に給水するべきだろう。倒れた選手も、担架上で素早く給水して、給水完了後、いち早くピッチに替えれるようにアピールするとかね。とくに、日本代表が勝っていたときには、絶対にこの手を使うべきだったのだ。使わなかったのは、サムライ達の持つ生真面目さから、試合に集中しすぎたのだと思ったのだ。

しかし、頻発するようになると、見苦しいだろうね。ユース世代にまで、こういうことを指導するとなると。