命乞いテレビ

そういう名前のTV番組があるわけじゃない。

その家庭でも、きっと、故障しているのは明らかなのだが、その程度が微妙で、騙し騙し使っていれば、何とか使えない事も無い家電製品があるのではないかと思う。

ウチの場合、それが2台のテレビだった。

騙し騙し使ってはいるものの、故障している物が修理もしないで自然に回復するはずは無いのだが、お払い箱にしようとすると、なぜか奇跡的に正常な画面を表示するので、あたかも「命乞い」しているかのように見えるのである。

先に寿命が来たのは、台所にある小さな方のテレビだった。画面の大きさが10インチ程度で、不治の病で入院した姉が買ったものだった。姉の死後、一時、物置にしまわれていたのだが、従業員の休憩室のテレビが壊れたので、ウチで使っていたものを回して、ウチの台所では姉の形見のテレビが活躍していたのだ。

しかし、台所と言うのは湿気の多い場所と言う事もあるし、23回忌も既に終えた後ならば、相当使い込んで入るわけで、砂嵐状態になる事が絶えなくなった。一度は、持ち出そうとしたときに、アンテナの線が外れかけている事に気がつき、直してみたのだが、やがてまた、砂嵐を映す事が多くなった。アンテナからの線も点検しては見たが、症状は一時的には好転するものの、すぐに映らなくなる。

「ついに買い替えの時期が来た」と決心した朝、テレビがいつにも増して機嫌が良い。さて、買いに行ったものかどうかと躊躇し始める。当然ながら自然に治ることなど無いから、思い切って安いヤツを買ってきた。ところが、新しいヤツに付け替えようとすると、これが良く映りだすのである。結局、購入してから約1ヶ月くらいは、付け替えを躊躇ってしまった。

そうこうするうちに、茶の間の20インチのテレビの機嫌が悪くなってきた。

こちらは、姉のテレビよりは寿命が短かった。バイパス脇にあった閉店してしまった量販店から買ったものだった。なぜか、寒い季節になると、動作が不安定になり、画面が乱れたり、真ん中に1本線だけを表示して映らなくなったのだ。それでも、機嫌の良いときには、かなり長期間良い画面を映してくれて、騙し騙しの付き合いが始まったのである。

それが、この冬になると、俄然不調を訴える事が多くなり、昨晩などは、母が楽しみにしていた「チャングムの誓い(総集偏)」のときには、最初から最後までついに1本線のまま、表示されずに終わった。

それで今朝、母に4万円を渡され、テレビを買いに行ったのだ。

前もって量販店で品定めをしていたので、目当てのテレビを差して店員に問いかけ、さあ金を払おうとした寸前に、店員が言いにくそうに、「こちら衛星放送が映りませんが、なにか受信機をお買いになりますか?」だと。

衛星放送が見れなければ、Jリーグの中継が見れないではないか。それは困る。

店員は、「20インチ程度の商品で、衛星放送の映るものは、既に売り切れております。」1万ちょっとを足して、ひとつ上の大きさのテレビをと物色するも、在庫が無く、取り寄せとの事。

正月にテレビ無しではつまらんから、別の店をあたる事にしたのだが、どの店でも持って帰れるのは29インチの巨大なテレビしか在庫がないと言う。持って帰れると言っても、これでは我が家の40段の階段を如何にして登れというのか?しかも、暮れの書き入れ時で、配達と設置に人は裂けないと言う。ウチには、私のほかには年老いた母一人である。

その事情を母に電話して聞いてみたら、母は「そんな事なら、正月にテレビを見なくとも良い」との事で、ウチに引き返すことにした。実は、今日は買いに行くときに、故障したテレビを引き取ってもらうつもりで、車に積んできていたので、そのぼろテレビをむなしく階段を登って持ち上がらなければならない。29インチほどではないにせよ、それはちょっと辛かった。

さて、音だけでも聞いていようかと、繋ぎ直したテレビのスイッチを入れたら、あら不思議、ここ数年で最も良い映像を長時間にわたって映し出している。

全く「命乞いテレビ」である。