哀しき民族主義

正直な話、この手の事件に関わりが出来るとは思わなかった。
朝のメールチェックの前に、いちどYahooのメインページの最新ニュースに目を通すと、見たことのある大学名が書いてある。「ヴァージニア工科大学で銃撃事件、死傷者多数」とある。ここ数年の渡って、私の所属する多言語交流サークルがホームステイを受け入れている大学生が学んでいる大学の名前である。

その日一日は、iPodの再生を控えて、ラジオのニュースによる情報収集に徹した。「容疑者は、アジア系?」とっさに思い浮かんだのは、ある地域の人々の事。我が同朋の民族の事とは思わなかったし、そうであって欲しくは無かった。やがて、「容疑者は、韓国系アメリカ人」との知らせを聞いて、意外な民族名の出現に不思議な事に安心してしまった。

仕事を終えて、TVでニュースのチェックをしようと思ったら、なんと、今度は日本で銃撃事件。ヴァージニアの事件は、長崎での事件の陰に隠れてしまい、TVでの情報収集は困難になった。そこでPCの前に座り、ネット上のニュースを拾って見ると、容疑者が韓国系とあって、韓国の新聞からのリンクが圧倒的である。と同時に、その混乱振りも窺えた。

というのも、私の感じた感想と同様に、アジア系の容疑者と聞いて、彼らも同様に、「韓国人でなければいいのだが」と思っていたらしい。同じ事は、サーチナなど中国系のニュースサイトでも同様だった。

でも、安心すると同時に、中国系サイトでの感想が最もだと思えた。「韓国人であれ、中国人であれ、これでアジア系民族全体への不信に繋がらなければいいが…」なるほど、日本では長崎市長が射殺されてさえいる。とても、日本人が信頼を回復したとはいえない。

ただ、TVでの報道を見ていると、現地での反応はいたって冷静である。考えてみれば、容疑者は、8歳のころからアメリカに住み、永住権も得ている、アメリカで教育を受けた青年だ。これは、韓国人の起こした事件ではなく、紛れもなく、孤独なアメリカ人の起こした事件なのだ。

そういう点、現地アメリカは、公民権運動以来、様々な人種対立を乗り越えてきた経験を持ち、とても大人の対応をしていると思う。差別が起こる事を恐れる人の心には、どこか差別の感情が入り込んでしまっている。それだけに、私も含めて人種偏見や排他的民族(愛国)主義というのは厄介な存在だ。

さて、我々のサークルのステイの受け入れ経験者たちは、一応にショックを受けている。今年も来月になると、彼らがやってくる予定だった。だが、このツアー、日本の次には韓国に向かう旅程になっている。たぶん、何人かはキャンセルしてくるとは思うが、「こういうときこそ、交流は大切」とばかりに、意地を見せるのがアメリカ人気質と信じたい。

それに対して、我々は、どう受け入れるかだ・・・・・・