「被害」と言うものについて考える

本日の地震の件で、私の安否について心配してくれた人に、お礼を言いたい。
新潟地震以来の猛烈な揺れを感じたものの、幸いにして、わが町に被害はない。
ゆえに、心配には及ばない。

とりあえず、本日の地震のあった時間の前後の出来事について、お話したい。

誰にとって幸運か不運かは知らないが、本来なら今日は「Lucky Monday」の「海の日」。自営業者の私は、今日も仕事。出掛け、ちょっと手間取りはしたものの、世間は休日、要するに仕事の量は少ない。売り上げ好調の喫茶店への配達が終われば、海辺のかまぼこ工場への配達で、午前中の配達は終わる。

茶店への道の途中、交差点で信号待ちしていると、車の窓ガラスが奇妙な音を立てて震えだす。車も揺れだす。車に乗っていたために、地震の最初に感じるはずの縦揺れに鈍感だったせいだろう「突風かな?」と思ってしまった。それにしては揺れのリズムが変だし、風切り音が聞こえない。と言う事は、と思ったとき、目の前の家の屋根のアンテナが踊っている。これが地震の起こった瞬間の感想である。

車に乗っていると、相当な揺れでも感じなかったことがあるのに、これだけ揺れるとは、家の中にいる人はとんでもない揺れを感じているはずだと思った。未だ、揺れも収まらないうちに、私は母に安否確認の電話を入れてみた。というのも、地震直後は電話が集中する事を恐れて、電話局が通話制限を行うから、揺れているうちはむしろ安否確認のチャンスだと思ったからだ。

狙い通り、呼び出し音が携帯電話から聞こえてきた。ところが、前日の誕生日に初めて携帯電話を持つ事になった母は、この肝心なときに、電話を取ろうとしない。後で聞くところによると、母は自室の箪笥の前で、揺れる箪笥を手で押さえながら、まじないの言葉を唱えて揺れが収まるのを祈っていたらしい。母の携帯への呼び出しは諦めて、固定電話をダイヤルしたときには、もう通話制限が始まってしまっていた。

やむを得ず、車載のテレビの音声で地震情報を得ようと思った。「震源地は、柏崎沖」との事である。「津波警報」も出ている。柏崎と聞いて、色んな思いがよぎる。ともあれここは、海辺の配達先へと急ぐ必要はない。店に戻って情報を集めようと思った。喫茶店への配達の後の行動は決まった。

柏崎と聞いて、まず気になったのは教員として柏崎市内に住む姪の安否である。姪の電話番号は知らない。知っていても通話制限で通じないから意味は無いが、父親である兄なら、何かを掴んでいる可能性がある。店と母に被害がないことを確認してから、同じ市内の兄の家に車を走らせる。言うまでもなく、電話が通じないからだ。

毎回、地震の度に思うのだが、たしかに大きく揺れはしたが、わが町と震源地ははるかに離れている。被災地ではない。被災地への電話は、マナー上慎まれるべきかもしれないが、被災地ではない同じ街中での通話に関しては、早々に規制の解除をして欲しい。でなければ、携帯電話を持つ意味がない。

兄の話では、幸いにして姪は実家に一時帰宅していて、部活の監督のために今朝になってから柏崎へと向かっていたらしい。「高速道路でハンドルを切り損ねなきゃいいが」兄の不安は、それに尽きる。とにかく、電話は通じない。「こちら(叔父と祖母の立場からも)心配しているから、何かあったら教えてくれ」と伝えて、その場を辞してきた。

まあ、これを書いている自分の立場もそうなのだが、安全なのが確定した人の情報が飛び交い、最も心配な人の安否こそが伝わってこない。災害というのは、そういう情報の不均衡をもたらすからこそ、人の不安を煽るのだ。

自分の所有するアパートの無事も確認し終えてから、ゆっくりと海辺のかまぼこ工場へ向かったのは、一応、津波の予想到達時刻を過ぎてから出かけるべきだと思ったからだ。車載のテレビの音声は、やはり、潮位の異常があったことは伝えたが、特に被害というものは伝わってこない。まあ、第2・3波の被害の方が多きケースもあるとは言うが、概ね安全と推測して配達に向かい、午前中を終える。

昼飯を食いながら、テレビの報道を見ていて気になったのが、倒壊している家屋の多くが古くてたくさんの瓦を乗せた屋根の家ということだ。下敷きになって死亡した人の殆どが、70歳を越えた高齢者。この程度の情報だけで断言はできないが、古くなって土台が弱くなっている事を知りながらも、「終の棲家だから」と建て替える意志も無く、また、そのような高齢者に「改築ローン」を組んでくれる金融機関もないまま、今日の災害に遭遇した家屋だったのではないだろうか。

この様な地震で火事が出なかったのが幸いだと思っていたら、よりによって原発内の施設から出火があった。無論、地震を感知した瞬間に原子炉は自動停止して、深刻な被害とはいえないが、化学消防の設備を動かすのに手間取ったとか、道が寸断されて消防車が近づけないとか、掴めていない事実が多すぎたり、なんか会見のコメントが、実に間が抜けていて、危機管理能力に疑いを持たせるものばかりだった。

おまけに、夜になってからは、冷却水漏れも発覚した。これらの事故に対して、東電は「予想を上回る地震の揺れのせいで…」などということを言い出した。原発推進派の論客たちは、事あるごとに反対派が要求する安全基準を、「過去数万年来起こった事もない巨大な地震を想定させた馬鹿馬鹿しい数値」などと切り捨てていたが、震度6強などという地震は、たしかに大地震ではあるが、地震学的にはありふれたものではないだろうか?震度7などというのは、そうそう起こる地震ではないけれども、喩え、そんな地震が起きても、原発だけにはシッカリしていてもらわなければ、安心して暮らせたものではない。

21世紀になってからというもの、エネルギーをめぐる国際紛争が続き、コモディティー市場でのエネルギー関連の商品価格の異常な高騰ぶりを見るにつけ、自分ももはや原発との共存は避けられないものと悟るに至った。資源は有効に使われねばならない。「であるからこそ、安全への配慮は充分に」とは思っているのだが、なんか原発までもが「耐震構造偽装」みたいな話になってきたように思えてならない。厄介な物を田舎に押し付けたがっている都会の推進派小僧の口車に乗ってなどはいられない。

午後の配達は、好景気に沸く金属加工業者へのもの。休日にもかかわらず、多くの人が出勤して作業している。当然、地震が起きた時間は勤務時間中ということになる。事務所で話を聞いてみると、無論、あの揺れだったから、機械は止めたのだと言う。だけど止められないものがある。赤々と燃えるコークスだ。それが人の頭より高いところに堆く積まれた機械が、工場内のあちこちにある。機械自体は重いものだし、固定されてはいるが、燃えるコークスはその束縛は受けない。場合によっては、作業員の頭にも降りかかるだろうし、火事の危険だってある。水をかけてもすぐに消えるものではないし、却って危険だ。事務室にいた女性たちも、とても怖がっていた。

地震は大きな被害をもたらす、恐ろしい災害であるには違いないが、人の様々な事情・経済活動が、その被害を累進的に大きくしているのだと思う。