心は折れない

多言語交流サークルに入ってからというものの、私はほめられ、おだてられ、持ち上げられっぱなしなのである。外側から、このサークルの状態を眺めると、一言で「あまい」と思う事だろう。


私も、おだてられて悪い気持がしないどころか、木でも朱鷺メッセでも登りたい(無論、エレベーターでであるが)気持ちであることに気がつく。と同時に、不安もある。

もし、この脆弱な状態に慣れてしまって、外の厳しい環境に触れたら、一気に潰されてしまうのではないだろうか?という心配である。他言語の習得を強制されるでもなく、鬼ごっこやらゲームを楽しんでいる子供たちは、生メタという場で他言語への挑戦を見せるのだが、完璧に流暢に話せる子なんて一人もいない。


ストーリーCDを聞いて、特に印象に残った部分だけを片言で言うと、後は他の大人の口に合わせて、発声したように口を動かしているだけ。それでも、大人たちは、そのチャレンジした子供を誉めるのだ。


そんなことで、言葉なんか身に着くのだろうかという心配以上に、結果を求められる環境に行ったら、ほぼ全員に追い越されるんじゃないかと心配になる。



そんな不安にこたえてくれたのが、先週の日曜(15日)の荻川での拠点講演会の講師・Sさんだった。


彼女の息子さんは、高校にはいった頃、さいたま市トレセンに選ばれ、何度か合宿に呼ばれたそうである。さいたま市と言えば、浦和レッズ大宮アルディージャという2つのJ1リーグのクラブを持つ、レベルの高い地区である。無論、競争は激しく、チームメイトは仲間ではなくライバル、求められるのは努力の過程ではなく結果という、わがサークルとは正反対の環境と言えるだろう。


彼は、その合宿以降、上の(県の)トレセンに呼ばれることはなかったようで、帰ってきた傷心の息子をSさんたちは、メキシコへのホームステイに送り出したのだそうだ。このステイを、彼は心から楽しんだようで、「俺、人の良いところも見れるんだなって気がついた」と語ったという。


なんともすさまじい頂点を目指す者同士の心の重圧の掛け合いを思わせる一言だったそうです。


この話を聞いて、「ああ、やっぱりあまいだけで脆弱な環境にいる子供では頂点にたどりつけない」と思う人もいるかもしれないが、私は違うと思う。


U−幾つか知らないが、その日本代表になれるのは、さらに全国から集まったサッカーの天才たちの中のほんの一握り。どんな環境で育とうと選ばれない子供たちの方が圧倒的に多いのである。むしろ、レベルの高い地区のトレセンに呼ばれただけでも、誇りに思っていいと思う。


問題は、その後のことだろう。夢破れた彼に対して、彼の親たち(Sさん夫妻)は、プライドを傷つけることなく、彼が夢を持って選択できる未来へのカギを手渡していると思った。それに応えて、息子さんも決して心が折れてしまわなかったことを示したのだと思う。


考えてみれば、私の不安は杞憂ということだ。このサークル活動は、昨日今日始まったものではない。子どもたちは、平日の日中は毎日学校に通っているのだ。サークルの内と外を否が応でも往復している。決して脆弱に育っているわけではないのだ。したたかに、対応の方法を分けている。