言葉の赤ちゃん

「言葉の赤ちゃん」というのも、Hippo特有の言い方だ。だから、Hippoに入りたての人に、「つまり、今、あんまり口がよく動かないのは、その言語を話すという点において、あなたは言葉の赤ちゃん状態で……」などというと、怒りはしないものの、馬鹿にされたと思って、シオシオと落胆した反応をしてしまう人がいる。

まあ、これは我々の説明不足なのだが、HippoのCDをたくさん聞いていくうちに、人を馬鹿にしているのではなくて、頭の中を白紙の状態にすれば、どんな言葉でも話す素質を持てるという意味で、「言葉の赤ちゃん」と言っていることに気がつくはずだ。

実際、昨年10月にNHKスペシャルで放送された「赤ちゃん 成長の不思議な道のり」を見たとき、生まれたばかりの赤ちゃんには、筋力さえあれば歩こうとしたり、言葉が聞こえてくる環境さえあれば、母国語ではない言葉でも、興味を示して、聞き取ろうとする能力を備えているというのだ。

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知人に、「人の本性は、善でも悪でもなく、白紙なのである。白紙だからこそ、善人にも悪人にもなりうるのだ」という画期的な考えを持っている人がいた。

多種多様な育てられる環境に順応するため、本性だけでなくあらゆる能力において、彼らは白紙なのだろうと思う。

最近、我々のファミリーでは、多言語のCDを聞いて、聞こえた音にポーズや振りを付けて、再度聞くという遊びが盛んだ。大人がHippoでは有名な空耳や目立った形で聞こえる単語をあげるのに比べて、子どもたちは、「あー」とか「えー」とか単純な音を上げるのだ。「あーにえーだ?お前らちゃんと聞いてるのかよ?」って思うんだけど。

ところが、実際にもう一度同じ個所を聞き直してみると、大人たちが上げた単語や空耳は、1ヶ所か2か所ぐらいしか出てこないのに比べて、子供たちの単純な音は、実に数多く聞こえてくるのだ。おかげで、おかしなポーズを何回させられたかわからない。

大人は、何らかの形でテキスト頼りしようとしたり、その他とにかく意味のあるものにこだわってしまうのだが、子どもたちは実に素直に回数多く聞こえてくる音に反応している。

まだ、子供になりきれていないなと実感するのである。