ミッシング・リンク(失われた鎖の輪)

初めてミッシング・リンクという言葉を聞いたのは、大学の一般教養科目の自然人類学の授業でのこと。「失われた鎖の輪」という和訳が付いていた。他の分野で、それ以前にも使われていたのかもしれないが、私が聞いたのは、この自然人類学で使われているケースでだけだった。

ダーウィンの進化論でもっとも物議をかもしているのが「人とサルには共通の祖先がいる」という予想。私からすれば、過剰反応と誤解があると思われる部分だ。というのも、進化論を毛嫌いしている人は、ヒトの祖先が猿だと思っている人がいるようだが、ゴリラ・チンパンジー・オランウータンを何万年観察し続けても、彼らから人類が生まれるわけじゃない。共通の遺伝子を持った祖先がいて、その一部から枝分かれしたのが、人でありそれぞれのサルたちだというのだ。

それを裏付けるのに必要なる、まだ発見されていない類人猿の骨の化石を「ミッシング・リンク(失われた鎖の輪)」というのだそうだ。

数十年間、自然人類学ででしか出会えなかった「ミッシング・リンク」という言葉に、妙な場面で出会った。

http://plaza.rakuten.co.jp/yizumi/diary/200807180000/

このブログを書いている人は、大野晋氏の「日本語のルーツがタミル語である」という説を訴え続けた人の説に注目していたらしい。と同時に、彼は商社マンという自らの体験を通して、大野氏の意見に不足している部分にも気が付いており、その謎を解くカギが中国の雲南省にあると思っていたらしい。ここの少数民族の習慣に、日本人の習慣に酷似したものを数多く見てきたらしい。

大野氏の「日本語のタミル語起源説」が出た直前に、わがヒッポ・ファミリー・クラブのメンバーが書いた「人麻呂の暗号」が出版され、それこそ「物議をかもした」のである。「古代日本語と、古代朝鮮語の関係を論じるのに、現代朝鮮語からのアプローチしかしていない」などの厳しい批判を頂戴したらしい。

人麻呂の暗号 (新潮文庫)

人麻呂の暗号 (新潮文庫)

これは、もっともな批判であるが、専門的な学問を受けてこなかった普通の主婦があそこまでやったことは評価してほしかったと思う。それに、誤解もある。彼女たちは、万葉集にある歌の中で、半島からの渡来人と言われている人麻呂なら、朝鮮語でも読める歌を作ったんじゃないだろうかといっているのであって、決して万葉集すべてがそうであったと主張しているわけでもなければ、ましてや、古代日本語が朝鮮語をルーツにしていると主張しているわけでもない。

「古代朝鮮語で全ての謎が解ける」などというのは、出版社が本を売るための宣伝文句です。

それよりも私の注意を引いたのが、古代の日本は多民族国家で、使われていた言葉も一つではなかったのではないか?聖徳太子は、10人が同時に話す言葉を理解したのではなく、10の言語を理解できたのではないか?という仮説だった。

当時の日本には、ネイティブのアイヌやクマソがいたほかに、中央の政府には中国や半島からの亡命者・渡来者が勢力を競っていたのではないだろうか。蘇我馬子は、関東から妻を迎え、息子は蝦夷と呼ばれていたし、馬子の邸宅があったといわれていた土地からは、当時胡人と呼ばれていたペルシャ人が造ったのではないかと言われる地下水道の跡も見つかっている。中国や朝鮮で使われていた言語も、それぞれ1つではなかったとすれば、10種類の言語というのは決して大げさな表現ではないと言えないだろうか。

「人麻呂の暗号」を読んだ当時の私は、そんな刺激を受けていた。

その後、「額田王の暗号」をへて、「古事記の暗号」「枕詞千年の謎」が出版されたのだが、私は「古事記の暗号」を読んだ。

古事記の暗号―神話が語る科学の夜明け (新潮文庫)

古事記の暗号―神話が語る科学の夜明け (新潮文庫)

ここで、あれっと思ってしまった。「古事記」のエンコード、ディコードのカギとなっているのが、「易占」なのだ。「なんのために?」と思った。

本には、中国(唐)からの使節に、「日本の歴史を知りたい」と言われた時、日本の歴史が易学的にも完璧な呪詛が施されていることを知らせるためとか書いてあったような気がした。

う〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ん????????????????????????????????????????

こんな必要があるの?

もし、私が中国からの使節で、日本に興味を持ち、その歴史・起源を読みたいと思ったとき、こんなものを見せられたら、「なにこれ?易占による呪詛つったって、作ったんでしょ、これ?歴史じゃないじゃん」って思うんじゃないかな?

たしかに、易学というのは中国に生まれ、四書五経の中にも「易経」というのがあるほどだが、歴史書を易占で呪詛する必要があるなら、もしくは中国で易学で呪詛された歴史を尊ぶという習慣があるなら、他にもそんな歴史書が見つかったっていいはずだ。司馬遷の「史記」やその他の「十八史略」などは、そんなものが施されていないではないか。

史書と言うのは、捏造したものを見せられるより、正確に記したものを見せられた方が感動を受けるものではないだろうか?ヘロドトスにしても、そうじゃないか。

そう考えると、「日本書紀」の「紀」こそ、歴史書であることを示している字を使っているが、「古事記」の場合の「記」は微妙である。少なくとも、「古事史」ではないのかもしれない。それなら、易占による呪詛もありか??????いや、それにしたって・・・・・・

もう一つ、私の気持ちに引っ掛かっていたのが、人の名前である。なんで、こんなにややこしい名前なの?

実は、今日参加したファミリーで、こう疑問を呈したところ、「人の戒名だって、そうじゃない」と言われた。言われた瞬間に、これに反論できるものを持っていなかったが、直感で「これは違う」と思っていた。

古事記に登場する人物の名前と戒名とは全く違う。後者が、死者が仏陀の弟子であることを示すためのものであるが、古事記の登場人物のそれは、まず仏教が渡来する以前のものであるものがほとんどだ。

また、使われている漢字を見ると、戒名は漢字で表現しようとしているものが理解できる並び方をしているのに比べて、古事記のそれには意味というものが感じられないというか、はっきりいって当て字だ。

また、「武士の名前だって複雑じゃないか」とも畳み掛けられたが、これも同様に違うことがわかるだろう。武士の名前は、公式の名前と呼び名のごときものが並列されているだけで、古事記のそれとは全く違う。

そもそも、古事記に登場する人物の名前は、なんか日本語という感じがしないのだ。

そこで、ファミリーの後帰ってきて、ネットで調べ始めたら、面白い説に出会った。

http://www.iris.dti.ne.jp/~muken/index.html

きっかけは、箸墓伝説に出てくる比賣の名前を思い出したくて検索をかけたのだが、古事記ポリネシアン語の解釈が出ていた。それが、力作であるだけでなく、ポリネシア人が南太平洋やハワイにだけいるのではなくて、東南アジアから中国の雲南省辺りにまで分布していたということが、後でわかったからだ。

さあそこで、最初の大野氏の説の補足を試みていた商社マン泉氏の雲南省での習慣に、日本古来の習慣に酷似したものがあることが思い出されるではないか。しかも、東南アジアのマレーシアには、現在もタミル人がマイノリティーながらも、中国(マンダリン)系やポリネシアン系のマレー人とがいる。

つまり、雲南省がルーツかどうか知らないが、ポリネシア人とタミル人の接点は確かにあるのだ。これが、「ミッシング・リンク(失われた鎖の輪)」だったりして……???

とはいえ、この説で行くと、少なくとも古事記に登場する人物の名前に関して、私が感じていたもどかしさを解決してくれるように思うのだけどね。

結論だけを知りたい方は、次のページの「箸墓伝説」の部分だけでも読んでみてくれ給え。
http://www.iris.dti.ne.jp/~muken/intro3.htm#d 箸(はし)墓伝説の真実