あれっ?

古事記に登場する人物名が、どうも日本語らしくないうえに、自分の知ってる言語らしいところが感じられなかったのが、ポリネシア語からのアプローチですべて解けたような気になっていたのだが、一晩過ごしてみると、疑問がいろいろと湧いてきた。

古事記は、「人麻呂の暗号」の万葉集の時と同様、すべて漢字で書かれてあるのだが、読み方が岩波文庫のものをそのまま使っている。これでいいのかなぁ……?(良いのかもしれないが)

調べてみると、日本語はSOVの語順の文法、ポリネシア語の代表格・マオリ語やハワイ語はVSOの語順になるらしい。夢間氏の解釈だと、古事記は日本式の語順になっている。

これはこれで良いとして、古事記を書く時点では日本語は、もう日本語らしさを持ってきていて、地名・人名にポリネシアっぽさを残していたのかもしれない。でも、その人に名前を付けたのが、親なのか名付け親なのか知らないが、日本語を使う環境にありながら、なぜポリネシア人っぽいの名前を付ける必要があったのだろうか?

そして、ある時から、そのようなポリネシアっぽさを完全に排した命名法になっているのは、何故なんだろう?これは、たとえ、ポリネシア語が起源ではないとしても、この大転換の疑問は残るのだ。

とはいえ、この説は、最近ではなかなか有力視されているらしいし、人の名前の中で使われる、日本語には不自然な音の繰り返しや配置については、とても便利な解釈法だと思う。(正しいかどうか知らないが)

また、箸墓伝説に見られる、食器の箸で自分の陰部をついて死ぬような、事故にしても自殺にしても、不合理で不自然な女性の死の謎を解く新解釈は、注目に値する。

いずれにしても、良さそうだからと、すぐに飛びつくのは賢明ではないかもしれない。