クラス会でのあるエピソード

昭和47年度の中学卒業生の多くが、今現在50〜51歳だ。だからというので、4年に1度定期的に開かれるわがクラスのクラス会は、地元の諏訪神社に集合して、お祓いを受けてから泊りがけで飲みに行こうというものになった。

50歳になると、話題は体のことが多くなる。なかでも、糖尿病を患ってからもうすでに長いM木君は、さまざまな病気の百貨店の様な男だ。彼の自分の体の病状について話していることを聞いていると、長生きを拒否しているかのような様子だ。

そのM木君が言う今回参加しなかった女子(50歳で女子?)のYさんについてのエピソード。以前集まったクラス会の何次会だったかで行ったM木君なじみのスナックに、その後、Yさんは独りめかし込んで通っていたことがあったんだそうな。昼間見ると、あまり見かけの良くない彼女も、夜のお店のカウンターの明かりの下で、時折他のなじみ客とのデュエットの要求にも応えていたりすると、帰りにはおごってもらうこともあったんだそうな。それが1度や2度じゃないとなると、話は厄介になる。だいいち店には、お酒の相手をするお姐さん達が控えているわけだし、そういうプロでもない彼女が客にたかるということになると、店としても評判が悪くなるというものだ。この話は、直ちに店のママさんからM木君へと連絡が行ったらしい。M木君がYさんをたしなめたら、彼女は憤慨し、それ以来、我々の集まりには参加しないのだという。

まあ、こう言っては何だが、Yさんはもともと豊かな人ではない。経済的にも、品性的にでもである。酒の席では、そこが彼女の気取らない良さと出る時もあった。また、女が独り、世間の憂さを晴らしたくて酒場に足を向けたくなる気持ちもわからないではない。そこで出会った酔客とのトラブルを彼女一人のせいと、非難するつもりもない。おごった客にも、なにがしかのスケベ根性はあったのだと思う。だが、実際に飲み代をたかるという行為が相当数あったと聞くと、彼女の賎しさだけがクローズ・アップされて、弁護できない状況になってしまう。今回彼女が参加しなかったのは、いつもの会に比べて(泊りだから)会費が高く設定されていたこともあるのだが、最大の理由はM木君がいたからだろう。前述のとおり、M木君は、病状を改善するために節制をしようという意思はあまりないようだ。思いっきり楽しんで死にたいと考えているようである。そのM木君の縄張りを荒したYさんを彼は許せなかったのだろう。M木君が死んだ連絡を受けてから、Yさんはおもむろにクラス会に顔を現すのだろうか?

最近は、女性同士でよく酒を飲みに行く人も多いだろうが、女独りとなると、なかなか見かけることがない。誰かと待ち合わせする以外は、本人も行きたがらないものではないだろうか?ましてや、酒場でカモを探すように一人で飲みに来る女の独り客に対して、同族である酒場の女性の目は、意外に厳しいものであると思う。

M木君にたしなめられて憤慨したYさんにもプライドはあったのだと思うが、憤慨するプライドではなくて、自らを律するプライドがほしかったと思う。