the United States の後の絶妙なタメ

生声CD付き [対訳] オバマ演説集

生声CD付き [対訳] オバマ演説集

オバマ次期大統領の演説を聞くのにはまっている。
なかでも有名な2004年のイリノイ州民主党大会での基調演説の素晴らしさはひときわ輝いている。
2004年当時と言えば、オバマ氏はまだイリノイ州の新人の州議会議員で国政に参加する人ではなかったのに、その演説の素晴らしさを買われて、民主党大会の大きな舞台に立ったのだから恐れ入る。

この演説の中のハイライトと言えば、「この国には民主党アメリカも、共和党アメリカも存在しません。あるのは、アメリカ合衆国です。」という部分。さらに、その後に続いて、「黒人のアメリカも、白人のアメリカも、ヒスパニック系のアメリカも、アジア人のアメリカも存在しません。あるのは、アメリカ合衆国です。」と畳み掛けるのだ。この部分、the United States of Americaが繰り返されて、その部分での聴衆の熱狂がすごい。「なんだ、国の名前さえ出てくれば、満足なのかい?」なんて、意地悪な感想を持ってしまいがちだが、前後の部分の意味を確認すると、決してそんなことはない。実に巧みな演説なのだ。

まず、英語の音だけを聞いてきて気がつくのは、the United Statesで一瞬微妙なタメが入り、そしてof Ameiricaと喝采が上がってくるのを待つ感じになる。ここが巧みです(by.horiike)。

というのも、このハイライトの部分の前に、こんな一節があるのです。「こうして話している間にも、我々を分断する準備をしている人たちがいます。情報操作や中傷広告のプロたちですが、かれらは「なんでもありの政治」を実践しているのです。そこで、私は、今夜、彼らにこう言います。」と、前置きして、例の部分にたどりつくのだ。「情報操作のプロ…Spin Muster」なんて聞きなれない言葉を使っているので、選挙参謀や政治的PR業者みたいな人たちを想像してしまいますが、巧みな情報操作で、911事件とは全く関係のないイラクへの派兵に導いた人たち、つまりは共和党の、それもブッシュ大統領とそれを取り巻く人々を指していることは明白です。

アメリカが彼らに分断されたというのは、この情報操作のせいで、911事件に激怒した人々が怒りの矛先をアフガニスタンからイラクに向けたのだが、その強引なこじつけに納得できずに戦争に反対した人々も多くいたと言いたいわけです。それらの人々を置き去りにして、怒りを抑えきれない人たちを焚きつけて戦争に邁進してしまい、軍需産業や石油会社、政府情報に明るい投資家グループにのみ利益が集中し、一方で戦死者やその家族、負傷によって心身共に傷ついた多くの不幸な人々を作り出してしまったことを、「アメリカの分断」と呼んでいるのだと思います。

さらに、ハイライト部分の後には、単純に赤い色の共和党の州、青い色の民主党の州と分けてしまうことがナンセンスである理由を細かく例を挙げて述べています。しかも、最後には「戦争に反対した愛国者も、賛成した愛国者もいる」とのべ、「戦争に反対することが亡国的」と呼ばれたことも否定しています。

the United Stateのstateを辞書で引くと、「州」と言う意味のほかに、「地位」「身分」という意味もあることがわかります。つまりオバマ氏は、Statesで一瞬のタメを作ることで、共和党民主党も人種の別もすべて消し去った理想の国家建設を目指し、国民の一致団結で国難の乗り切っていこうと述べています。それにしても、誰がつけたか「合衆国」とは、絶妙な訳語です。明治前後の和製漢語の秀逸性を感じます。その多くは、中江兆民福沢諭吉の訳らしいですが、一時期それぞれの州でばらばらな法律や習俗を持つことで「合州国」表記した人もいたようですが、やはり「合衆国」がいいですね。

そのあいだ、一切、相手を誹謗中傷する言葉を使わずに、オバマ氏はブッシュ大統領の政策を批判しています。聞いている人は、全く不快な感情を抱かずに、彼の演説の聞き入ったとの事です。自然に涙があふれてきたという人もいるくらいです。そして、この演説が彼を4年後の大きな舞台へ、今度は主役として押し上げたという、いわゆるアメリカン・ドリームの実現となった、そのきっかけとなった非常に重要な演説です。

さて、演説とは話は離れてしまいますが、例のハイライトの部分の言い回し、英語ではよく使われますよね。「Aでも、Bでも、Cでもなく、ただDであるだけなのです」と言う風に。Hippoの教材のテキストに「おどろ木、モモの木、ヒッポの記」というのがありますが、そのCDの13番にも、「In the park, there were no study corners for "Lesson1 and Lesson2", no curriculum, no division of class according to ability.」というのがあります。さらに畳み掛けて、「And of course, there was no teacher, no test, no need to worry about mistakes.」と続き、結論として「There was only desire to join with favarite friends to build a comunity.」が来ます。オバマ氏の演説に比べて、desire以下の部分が長すぎる気がしますが、その他は実にリズムが良くて、歌っていてすごく好きな部分です。オバマ氏の演説を聞いた後テキストを読んだりすると、自然に声が大きくなるのは、気のせいでしょうか?(笑)

また、先日、スカパーで「U-20 FIFA女子W杯」の表彰式を見ていたら、場内アナウンスの女性の声でthe United States of Americaが発せられる時、こころなしかStatesで一瞬のタメを作って言っているような気がしました。これなんか、やっぱりオバマが大統領になった影響ですかねえ?(んな訳ないか…笑)