スウェーディッシュ・ラブストーリー……?

ciaotuttiさんのブログで紹介されていた映画です。
40年ほど前の映画で、このタイトル?って思ってたら、見たことのある映画でした。
当時のタイトルは、「純愛日記」。長年、フランス映画と思っていました。スウェーデン映画と聞いてびっくり。でも、考えてみればそうかという感じ。

40年前というか、私がこの映画を観た35〜6年前と言えば、スウェーデンにはあるキーワードがあった。ひとつは、「福祉国家」というやつで、これは現在でもそうなのかもしれない。ただ、福祉国家というのが、いかなる犠牲を伴って実現されているかという真実が明かされるにつれて、その言葉の持つ輝きというものは、いささか意味が変わってきているのかもしれない。

そして、もう一つは「フリーセックス」という言葉。現在でも、Googleで検索すれば、5万件以上もヒットする。実は、「性を隠さない」という意味のこの言葉が誤解されて伝えられているために、多大な期待をもって彼の地を訪れる日本男児と現地女性との間にはトラブルが多いと聞く。現に、最近あまり聞かなくなっているとはいえ、2000年ごろまでは、2ちゃんねるやYahoo!の質問箱などでも、この種の質問をしてくる輩が目立っていた。

さて、映画との関係であるが……

まず、この映画、「小さな恋のメロディー」のスウェーデン版というキャッチコピーとともに、日本で公開されていたらしい。なるほど、私がこの映画を観たのは、「小さな恋のメロディー」との同時上映だったが、内容は恐ろしく違っている。50を過ぎた私の目から見れば、この映画に出てくる鼻ったれの少年少女たちの「おイタ」などは、鼻で笑って済ませられるものだが、35〜6年前の中学生が見たら、その過激さに、目当てで見に行った「小さな恋のメロディー」など、霞んでしまうほどだった。

まあ、「性を隠さない」という意味でのフリーセックスという言葉ではあったにせよ、恋人たちの性に対する要求は、たとえ鼻ったれの少年少女であったとしても、大人と寸分変わらないものであったというわけだ。

「性を隠さない」というのは教育方針で、どんなに隠しても、知られてしまい、実行されてしまうのが性であるとするならば、正しい知識を与え、性感染症を防ぎ、安易な堕胎や出産後の幼児虐待を無くすためなのだと思う。

スウェーデンは「福祉国家」にならなけらばならなかったのだと思う。というのも、この国は当時から「高齢者社会」として知られており、少子化は国内最大の問題だったのだ。いかに税による負担が低い方が良いと思っても、もはや動くのもままならない老人や障害者を支援しないわけにはいかない。そのために、高負担・高福祉の社会を実験的に選択したのだと思う。

しかし、税金が高くなりすぎれば、国民の働く意欲は失われてしまう。そのためには、少子化は何としても克服しなくてはならなかった課題だったのだろう。そういう状況で、青少年が性をオープンにできないばかりに、性感染症を蔓延させたり、育てられないからという理由で堕胎や幼児虐待に走ったりしては、少子化を克服することはできないと考えたのだろう。少なくとも、授かった命は漏らすことなく就労年代になるまで育て上げる決意が必要だ。育児のためにも、高福祉にならざるを得なかったというわけだ。

振り返って我が国を見るに、性をオープンにできないでいるばかりか、福祉を切り捨てようとしている。確かに、低負担・低福祉である方が納税者としては助かるのだが、先々の負担増や少子化という問題を前にした時、スウェーデンのやったことは、かなり参考になるのではないかと思う。

性教育の問題も、少子化対策を金だけで解決しようとすると、税負担は天井知らずに増え続けるが、学校や家で正しく教えるならば、効率的ではないか。しかも、性感染症の予防や社会問題となっている安易な堕胎や幼児虐待にも、なにがしかの効果も期待できると思う。