ギタリストの性格(サガ)

世の中のギタリストにはいろんな奴らがいるから、一概にギタリストの性格を述べることは難しいが、歌手のGacktって奴だっけ?むかし、彼がギタリストについて面白いことを言ってた。
「ギタリスト同士が出会うと、わずか数時間の間に、上下関係ができているんだ」と。
思うに、テクニックということに関して、ウソをつけないのだと思う。
ハッタリをかましても、わずかな時間でボロが出てしまうので、相手がの方が上手いと思ったら、下手に突っ張るより、下手に出て、できるだけ情報を収集したい(などと言えば聞こえはいいが、要するに「おもねる」のである)。

なぜ、こんなことにこだわるのかと言えば、ちょっと前に送られてきたメール・マガジンのトリビア情報に、ジョージ・ハリスンエリック・クラプトンとのハリスン夫人を巡る対立とその解決のことが書かれていたからである。

記事によれば、ジョージ・ハリスンは妻パティの影響でヒンディズムに傾倒したのだという。パティのインド熱が冷めても、ジョージのインド熱は冷めず、どんどん傾倒して彼女を顧みなくなったため、悩みを打ち明けたジョージの親友エリックとの間に恋愛感情が芽生え、ついにパティはエリックとの同棲を始めた。まあ、ここまではおおむね間違った記述ではないと思う。

問題はここから、これは捨て置けないと思ったジョージは、エリックと話し合いの機会を持ったという。それで、ギタリスト同士ならギターで勝負しようという話になり、5時間の激闘の末、エリックに軍配が上がったなどと書いてあったので、オイオイオイオイオイオイオイオイオイオイオイオイオイオイ・・・・・・・・・・・・・・と思ってしまった。

ちょっとギターを弾きかじった者なら誰でも、これは可笑しいと思うに違いない。ジョージ・ハリスンエリック・クラプトンとの勝負なんて、5時間も必要が無いだろうと。それ以前に、ジョージには自分に勝ち目がないことは察しているはずだ。大昔に話題になった、「バングラ・デシュ・コンサート」のライブ盤での2人の弾きっぷりを聞けば、すでに勝負は決しているのだし、たぶんTV映像とかライブでエリックのプレイぶりをジョージが見た瞬間に、自分が劣っていることには気が付いているはずなのだ。

そこで、冒頭のギタリストの性質(さが)の話なのである。確かに彼らは親友同士ではあっただろうけど、ギタリストとして持っている資質の上下関係は、明らかにあったと思うのだ。

私は、かつてジョージ・ハリスンが好きだった。ジョンのような我の強さが、ときに鼻につくわけでもなし、ポールのような抜け目のなさを持っているわけでもないし、かと言ってリンゴほど得体が知れない奴じゃない、そんな中道路線を行く彼が好きだった。だが、音楽における中道路線は、時に没個性につながりたがるものだ。そこで、ヒンディズムへ飛び付いたのだと思う。ジョンもポールも、一度は影響は受けたものの、ジョージほどのめり込まず、すぐに手を引いている。それゆえに、彼は自分を特徴づける思想に傾倒したのだと思う。

さて、彼らの三角関係については、私がビートルズ全般に興味を失った後の話なので詳しくはないが、おおむね想像はつくのだ。曲作りには多少のアイデアを示すことのあるジョージだが、私が思うに、どうも歌詞が今イチという気がする。女性を讃える歌詞に、somethingだのなんだのという言葉を使う辺りに、「好い人なんだけど、もう一歩人の心に踏み込めていない」そんな印象を感じないだろうか?それよりは、「レイラー、君の前に跪くよ」みたいに、率直な言葉に出せる人間の方に興味は行くものなのだと思う。

たぶんジョージのような人は、妻に去られてしまうことには残念に思うのだが、それをとどめる有効な言葉を発することのできない人だったのではないかと思うのだ。実際の性格の良さとは別にしてである。

しかも、妻を略奪したエリックを憎くは思うものの、下位のギタリストの持つ悲しい性格が、その負の感情を露骨に表すこともできない彼の性格に色濃く反映されてしまうのだと思う。