ヤングのスリット実験

講談社ブルーバックスを読み漁っていた時期がある。
あまり理解できていたとは思っていなかったが、やはり誤解があった。
トマス・ヤングの光の干渉実験である。

Hippoに入って、「なんでやねん?」って思ったことの一つに、このグループ、なんでか知らなったけど、「量子力学」を研究しようとしている。
物理学というのが世の中にあるあらゆる自然現象を数学の言葉で表そうという学問であるからには、物理学で使われている言葉もやはり言葉なのであるわけで、初めて聞いた時にはチンプンカンプンでも、諦めずに聴き続けているうちに理解できるようになるのではないか?というのが、理由の一つだ。

量子力学が選ばれたのは、これまたなぜか分からないけど、ヒッポの研究機関であるTransnational Colledge of LEXへの入学条件がハイゼンベルクの「部分と全体」を読んでおくこと、というのであったという縁と、言葉を音として研究する際に、複雑な波は実は「単純な波の足し合わせ」というフーリエの法則を研究していた縁からというのが理由らしい。

そこへ、全くの偶然だが、Hippoのシニア・フェロウとして名を連ねている南部陽一郎氏のノーベル賞受賞したことから、俄然「量子力学って何だろう?(「What is Quantum-mechanics?」まさに我々が使っているテキストの英語版の表題である)」という関心が高まったことも加わったため、今年はこの種のイベントが目白押しである。

18日土曜日に開かれたワーク・ショップでは、千葉からK氏が講師として招かれ、講演が行われた。難解な量子力学の話をどこからはじめようか考えた末にK氏が選んだのは、「光は波なのか?粒なのか?」という疑問からだった。

有名な実験がある。それが冒頭の「トマス・ヤングの光の干渉実験」である。

もし光が粒なら、十分狭い2本のスリットの間に光を通した場合、スリットの間の部分の背後には光は届かず、スクリーンに映し出される光の映像は、グラフにすれば光の強さは2本のピークをもったものになるはずである。言い換えれば、スリットを薄く大きく拡大したものが映し出されという訳だ。


ヤングの実験では、そうはならず、スリットの間の部分が最も光の強さのピークが大きく、5つほどの跳び跳びの光の点が現れたのである。そこから、2つのスリットの間を通した光は、互いに干渉しあう波となってスクリーンに映像を結びあうことがわかったというのである。

話はここで終わらず、まだ先があるのだが、私の誤解について話しておこう。

私が本で読んだ解釈では、スクリーンに写された映像は横並びの複数の点が独立せずにくっついたものであるということだったが、実際にレーザー・ポインターでやってみた実験結果をみると、本当に独立しているのである。そう思って、グラフの絵を見てみれば、なるほどと思った。光が干渉しあった結果、光の強さがゼロになっている部分があるから、独立しなければならないという訳なのだ。

チョコチョコッと本などで仕入れたあやふやな知識と、実際に実験を通して知り得た知識とでは、このように雲泥の差があるというものである。

この実験、今から200年以上も前に行われたもので、それからすれば、まだ「量子力学」ですらない時代のものだ。お祭りに例えれば、神社の境内の外でポッポ焼きを買っているようなものだ。しかも、この実験で、「光は粒ではなく、波であることに確定した」と思われたにも関わらず、20世紀に入ってから、それを根底から覆す事実が続々と発表され始め、ますます話は難解を極めてくるのである。

まさに、「自発的非対称性の破れ」までは、遠大な道のりなのだが、昨日までの「分からん」と実験を通した「分からん」は、明らかに違うのである。そう考えることにしよう。