停電

製造業と言うのは、閉店後もいろんな出費が付きまとうものだ。
工場のさまざまな機械を動かしていた電気は高圧電流だったので、それが不要となった今は、それを切断しなくてはならない。
電気設備会社に見積もりを出させてみると、わぉ!という金額をはじき出してきた。
しかし、それ以上に困ったのが、22日午後3時から、23日午前9時半までの一晩の作業停電。
泊りに行けると思っていたところには、泊りに行けず、結局、不便を感じながらも、ランタンとろうそくの明かりを頼りに夕食を済ませ、早めに就寝ということになった。

前日、午後3時だから、まだ外は明るかったのだが、家の中はすでに薄暗く、さりとて夕食までは時間がまだあるので、どうしても明るい環境が恋しくなる。本屋やショッピング・モールで時間を潰して、夕食前に家に帰る。

夕食も、ガスこそ使えるが、薄暗い中ではそれこそ、うまく体を動かせないので、味噌汁を温め直して、惣菜をおかずに済ませる程度のものになる。おもうに、明かりが家庭料理に及ぼした影響というのは絶大だと思う。

そう思いながらも、薄暗い中で食べていると薄暗さに目が慣れてきた。また、電池式のランタンの置き方もコツがわかってきた。近くにいた方が明るいからと、手元にランタンを置くよりも、自分から遠くとも天井に近いところから下へ向けて照らした方が、部屋全体が明るく感じて心地よい。なるほど、蛍光灯や白熱灯が天井近くにあるのは、伊達ではなかったのだ。

そういえば、昨年九月のキャンプの時も、夕食を食べ始めた時にはものすごく暗く感じたものだったが、夕食後山荘の中で過ごしていたときには、もうすでに目が慣れていたように思った。あの時も、電燈は昼間太陽光発電機で発電した電池によるもののみで、すぐに電燈はつかなくなったのだった。

さて、当然のことながら、明かりだけが使えないわけではない。PCはもとより、TVも使えない。電気カーペットは使えなかったが、幸い、ガスストーブはまだ出してあった。

TVが使えないなら、トランジスタラジオでNHKのAM放送を聞こうということになった。歌番組は、完全に中高年向けとなってしまっている。それも今時珍しいことに、ライブ放送だった。しかし、それゆえに放送局や歌手のアラが目立った番組だった。出演してたのは、結構ベテランの実力派と言われる人たちだったはずなのだが、高音が上がりきらずに調子外れになったりしていた。また、極めつけは放送局のミスで、1曲マルマル、伴奏のみで歌手の声が入らない曲があった。かなりのベテランで、この辺はうるさく言われたんじゃないかと思うが、どうだったんだろう?

また、歌番組の後は、新潟・福島・山形に限った番組らしいが、3県のNHK支局のアナウンサーのコラボレーションで、大河ドラマの「天地人」の原作のラジオドラマが放送されていた。ラジオドラマというのは、アナウンサーにとって、報道と並んでやってみたい番組作りではないかと思う。それゆえ、なかなか力がこもっているのを感じた。また、TVドラマは脚本家が脚色しているものを見るわけだが、ラジオドラマは原作に忠実であるというのが興味深い。

ただ私は、なんかこの直江景継という人物は作られ過ぎているような気がして、好きになれない。小姓上がりの侍というのはそう見えるのかもしれない。戦乱の時代が落ち着きつつあり、戦働きよりも外交や知略に長けた人間が現れる。佐竹義宣の家臣・渋江政光(内膳)なども、そういうタイプだったと思う。

早めに床について、布団の中でランタンの明かりを頼りに本を読んでいたが、どうも目が早く疲れるので、すぐに眠ってしまった。しまったのだが、こんなに早く寝てしまうことってあまりなかったので、夜中に何度も目が覚めてしまった。やはり電気がある生活からは、もはや逃れられない。