米沢遠征?

遠征などと書くと余計な誤解を招きそうなのだが、その理由については後述。

なんだか知らないが、新潟のHippoは今年から南東北と北関東のHippoとの連携を強めるようだ。
今日は、その先駆けとして、米沢での小さなワ−クショップの開催があり、新潟から大人も子供も合わせて大挙20人での大遠征となった。

Googleマップでの予定所要時間は2時間半、カーナビでの予定は3時間とあったが、米沢市の境まで2時間弱しかかからなかった。しかしこの日、米沢には「上杉まつり」があり、市役所前は駅伝のスタート地点で大渋滞。それでも、交通規制が始まる前だから通れたわけで、規制中に通ったらどうなっていたことか……?

渋滞を通り抜け、なんとか全員が会場に着いたら、早めに準備に集まっていた現地のメンバーが出迎えてくれた。

挨拶も程々に、ラッキーは新潟のメンバーにミーティングを開くと告げる。新潟から行ったメンバー全員で、ロシア語のWhat's HomeStay?(シタタコエ・HomeStay?)をやるというのだ。そんなロシア語がたくさん頭に入ってるのは、ラッキーぐらいなものだと思うのだが、彼女曰く、「ニチボ・ニチボ(大丈夫)、音をあげるから」だと。ここがいかにもHippoらしい。

紙芝居の中から1枚受け取ると、金髪の女の子がベッドで泣いている絵だった。「夜、さみしくなったり、涙が出てきても大丈夫」という非常に短い部分だった。聞き慣れない音ばかりで、全く頭に入らない。しかも、他の発表を聞いたり、踊ったりの後というのだから、その時は覚えていても、他の情報に紛れて忘れてしまいやすい条件での本番となった。最後の「…ノ・ニチボ」だけは、なんとかなるの手ごたえ。

「音をもらう(あげる)」と言うといかにも聞こえはいいが、プロムプターつきの発表、わかりやすく言うと「産地偽装がバレた老舗牛鍋屋の謝罪会見」みたいになる。これが、私、あまり好きじゃない。とくに、あの謝罪会見に対する世間の反応を見聞きしてからというもの、生メタでこれをされるのが嫌で、反則ながらもテキストを盗み見て完璧に覚えるようになった。これが、私の聞く力の弱さの一因となっている。

ただ、今回の条件では完璧は望むべくもなく、それに発表で誰かが言っていたように、「完璧な準備は誰にもできない。困った時には考えなくてはならない。その考える助けとなるのがHippoの普段の活動」という言葉を信ずるしかなかった。まあ、成るように成ると諦めたのだ。

発表後、みんな、私のこと、「アガッてたでしょう?アガッてるの、初めて見た」と気遣ってくれたが、まあここまで準備ができない環境ならしょうがない訳で、ジタバタするのをやめると、私の場合、ああなってしまうのである。

昼飯は、米沢牛の牛丼弁当。米沢牛を、なんで牛丼にするんだよぅ……と、ぼやきながら食べた、思ったよりおいしかったが、なんで牛丼?

食後、再度、各国語による自己紹介。でも、みんな自由に歓談したがってるのに、これは必要あったのかなぁ?

ルーマニアから、米沢の高校に交換留学に来ているクリス君に出会った。
「サッカーは世界の言葉」っていうけど、まさにそうだ。「ゲオルゲ・ハジ」の名前を出すと、驚いたように「日本へ来てハジのことを知っている人に初めて会った」という。そう、コマネチよりもハジの方が、先に名前が出るのが日本のサッカーファンなのだ。バルデラマ、アスピリージャ擁するコロンビアを撃破しアルゼンチンさえも破ったチームリーダー、ガラタ・サライに移ってからはUEFA杯獲得の原動力となったルーマニアの英雄を、我々は忘れない。しかし、あまりに周囲のみんながサッカー好きなので、彼はバスケット部所属という。なあ〜んだ。

いろんな人に知り合い、作った名刺全てを配りつくした。また新しい名刺を作る楽しみが増えた。

帰り道もまた渋滞。まあ、お祭りなんだから仕方ない……と思っていたら、別の道はすいていたらしい。途中の休憩地と決めていた道の駅に、数十分も遅れて着いた。そうか、渋滞情報は、いつも特に入れてなかったんだ。今度から設定するようにしよう。

でも、この後特に急ぐ道のりでもない……が、完全に日没するまでには、日沿道の入り口にたどりつきたい。それぞれに、お土産を購入して、一番最後に休憩地を出発した。私の疲労を心配して、同乗者はHippoならではのイベントを始める。

その名も、「他言語しりとり」。

どこの国の言葉でもいいし、Hippoのテキストにあるフレーズ(複数も可)でもいいから、とにかくしりとりを繋げる。難しそうに聞こえるが、結構つながるものだ。ルで始まるフレーズを考えるときは、フランス語を考えればよいし、ケならばスペイン語だ。韓国語でもいいが、韓国語のフレーズは、ヨで終わるフレーズが多いので、ヨの多いスペイン語の語彙が尽きてくる。意外にというか、Hippoではありがちなのだが、英語が盲点になる。頑張ってスペイン語や韓国語をひねり出そうとして、ンで終わるフレーズを口に出しそうになってしまうが、意外に英語ならばたくさんあるものだ。それが出てこないというのは、それだけ英語に対するトラウマが強いということだろうか?

我々は日没直前に日沿道にたどりつき、暗くなったころに今朝の出発地点についた。休憩地を出る時に、同乗者が「これ、食べて」と渡されたコロッケがあった。運転中には食べられないから、帰ってから食べようとして驚いた。

馬鹿デカイ。

あんたたち、こんなにデカイ物に齧りついていたのか?私の運転中に。

ところで、米沢と聞いて、ちょっと懸念していたことがある。わが街は、昔米沢と戦ったことがある。百数十年前の戊辰戦争の時だから、今この時代に心配することもないのだが、会津地方などは、未だにわが街の名を聞くと、追い返されるセールスマンがいるそうだ。そう思って、おずおずとわが街のことを切り出すと、さすがに恨みとかそういった思いは帰ってこなかったが、「知ってますよ、その話は…」とニタニタ笑っている。「ああ……、子供のころから、そういう風に郷土史を学んでいるわけね」と思ったものだった。「遠征」という言葉を使ってよいものかと思ったのは、そういう経緯から。