最高の笑顔

ブログを2カ月半以上も放置してしまった。
書きたいこともいろいろあったんだけど、時には書くのを控えねばならない事情もあったりで、思うようではなかったのです。

とはいえ、書けることもたくさんあったわけで、それを書かなかったのは、私の怠慢です。

再開第1回目を何にするか考えた時、一つのことが思い浮んだ。

まだ、東京で学生をしていたころ気がついたことなんだけど、山手線を巣鴨で乗った時、思いがけず空席があって、座ることができた。後からいろんな人が乗ってくる。とても美しい女の人もいた。ただ、彼女、表情に乏しいので、これほどの美人がもったいないもんだと思って、彼女を見ていた。

電車は、大塚で停まりまた動きだした。女性は相変わらずである。それが、私が下りようと思っていた池袋のホームに停車しかけたころ、彼女の表情が突然輝きだした。ホームに、彼氏か親しい友人を見つけたんだろうね。私は、そこで下りてしまったので、結局どちらだったかを確認することはできなかったんだ。

Hippoの青少年交流の子供たちが、続々と帰国している。台湾から帰ってきた子たちを新潟駅で迎え、韓国から帰ってきた子たちを新潟空港で迎えた。自動ドアが開いて、100万ドルの笑顔を浮かべて、キャスター付きのスーツケースを押しながら、彼らが駆け出してくるのは、自分の子でないにもかかわらず、微笑ましいものだ。私は、山手線車中の美女のことを思い出していた。

今年、新潟からロシアに行った子はいなかった。ロシアから帰国した子供たちを迎えた時、Hippoの人間がいることに気がついて、笑顔になってくれたものの、その表情は明らかに、新潟の子たちとは違っていた。

ロシアに行った子たちを批判するわけじゃない。日本に帰ってきたとは言っても、彼らにとっては新潟空港は、まだ旅の途中なのだ。ほんとに自分に親しい人に再会するまでは、彼らの旅は終わらないのだ。彼らは、池袋につく前の山手線車中の美女と同じ気持ちだったのだろう。

あの後、夕刻近くになって故郷に帰りついた子供たちは、きっと最高の笑顔を家族や友人たちに見せていたに違いない。

さて、ロシア交流の帰国者を出迎えに行って、良いニュースと悪いニュースがあった。

良いニュースは、ciaotuttiさんに出会えたこと。ブログで、ロシアへのグループフェロウになると知っていたので、たぶん会えると思っていたのだが、向こうは思いがけないことだったようだ。

なぜ彼女に気がついたかと言えば、それは彼女の本名のロシア語読みが、彼女のブログにあったからだ。ロシア人は、アルファベットの「ko」は、「カ」と発音するのを、HippoのCDで知っていたこともあったから、後はその前の部分の選択肢だけということになる。

ただ、ブログでの名前は、Hippoネームとは異なる場合が多いので、何と呼べばいいか分からなかった。思い切ってブログの名前で呼んで見ると、かなり驚いていた。そういえば、私もブログではpanaderoだけど、Hippoネームは「ぱな」だから、イコールではない。その辺のこともあり、名刺を出されても、彼女は混乱していたみたいだった。ブログに掲載していた写真とかなり違っていたので、「ティー・サフシェム・ニェット・タカーヤ・カクナー・カルトチュケー」だったのかもしれない。あれは、30代半ばのものでした。ごめん。

悪いニュースは、瀬戸市周辺で放送され、本部からネット配信されていたラジオ番組が終了していたことだ。この4月から、データを掲載したブログが更新されないので不審に思っていたのだが、恐れていたことが起こったという訳だ。まあ、聞き手は限定されているし、スポンサーもつかない放送だから、こういうことはあるのだろう。

では、それならば、ネットラジオで自分たちで作ってみたら、どうなんだろう?ネットラジオなら、スポンサーは必要無しで、打ち切られることはない。月1の更新でも、予め伝えてあれば、問題もない。一つの地域で月1でも、複数の地域と繋がれれば、面白いことになりそうだ。

ただ、諸問題は山積みだけどね。音楽と著作権とその周辺の権利の問題が一つ。録音場所の問題が一つ。聞き手のPCの知識が、ネットラジオを聞けるレベルにない人が多いのが一つ。Hippoの名前でメディア活動することに、何か問題が無いか聞いてないことが一つ。まあ、いろいろあるけど、一つ一つが、絶対解決不能と言うことはないから、本家が無くなった今、時間を賭けてでもやってみたいのだ。