So long, mirette-chan!

新潟のHippoが停止している。2・3の個人的なホームステイの受け入れはしているものの、通常のファミリーの活動は停まり、活動はほとんどしていない。理由は、未来(ミレ)ちゃんが、7日未明に46歳の生涯を閉じたからである。乳がんが再発して、闘病中であることは伺ってはいたものの、彼女の早すぎる旅立ちは、みな一様にショックなのである。

生前、新潟空港近くの船江会館を拠点にピヘンギ(飛行機)ファミリーを営んでいた未来ちゃんには、その人柄に惹かれて入会したメンバーが大勢いた。ご主人のプラちゃんは水産関係の研究員で、船で出かけると何週間も留守にするそうだが、その留守をしっかりと守り、2人一緒のときは絶妙のコンビネーションで、ファミリーを運営していたものだったそうだ。

未来ちゃんの通常のファミリーには一度も出たことが無い私だったが、去年の春の英語のメタ活マラソンにお邪魔させてもらった。子供たちがグズるから、ゲームや踊りに流れることの多いHippoの活動だが、たまには何時間も言葉と格闘してみようという、そのイベントの趣旨には大賛成だった。

多くのメンバーは、彼女が実行委員をしながら合宿に参加できなかった事で、彼女の体調の急変を察したようだったが、同じ合宿を、中学の同級会で欠席していた私には、そのことに気がつかなかった。実は、その時にがんが再発したらしいのである。

10月の古町どんどんに活動を広報する出店を出したときに、抗がん剤治療を受けながら彼女は駆けつけてくれたらしい。私の英語の「カヌー体験記」を楽しそうに聞いてくれた彼女だったが、体には隠しきれない変調が現れ始めていた。おそらく、再発した箇所の近くだと思うのだが、大きな内出血のような痣と言うか腫れ物が、上腕から肘に出ていたのである。彼女ががんに罹っていたとも知らされていない私は、「どうしたの、これ?」と不躾にも聞いてしまった。

今思えば、恥ずかしそうに、「どうしてできたか分からないのよ」と言っていた彼女には、悔しさがいっぱいだったと思う。ピヘンギ・ファミリーの様子がおかしいと風の便りに伝わってくる。理由は未来ちゃんの病気と言うから、あの腫れ物のことが脳裏をかすめた。私は、後悔の念でいっぱいだった。

私が彼女の病気が癌だと正確に知ったのは、年が明けてからのことであった。私の周りには、癌で早死にした人が何人かいる。癌で死んでいく人の苦しみは、姉の時に、十分すぎるほど思い知らされた。今年に入っても、友人の細君が再発したがんのために死んでいった。昨年暮れに再発し、7月初めまで苦しんだのを、友人たちは「そんなに長く苦しんだんだね」と彼女を哀れんだものだが、今回の未来ちゃんの場合は、それをはるかに上回る期間、病気と向き合ってきたことになる。彼女も、家族もそれだけ長く苦しみながらも、その期間が一日一時間でも長くなることを望んだことを考えると、切ない気持になってくる。

私は、都合でお通夜には出られなかったものの、今朝の告別式には参加することができた。棺に横たわる未来ちゃんは、一年近くも闘病してきたとは思えないような美しい顔だった。式の最後に、「再見(ツァイチェン)」と呟いて献花したとき、1昨年、グループフェロウで韓国に行った彼女が覚えてきたケグリを踊る彼女の姿が、思い出されてならなかった。あらためて、再見。(合掌)