身の回りのロゼッタ・ストーン

先月末に東京に向かうとき、「額田王の暗号」を携帯していった。
「暗号」シリーズの第2弾を、この長い間、私は読んでいなかった。これを飛ばして、第3弾の「古事記の暗号」を読んだものだから、ちょっと戸惑いが多かったのだと思った。

「暗号」シリーズへの批判の根拠は、「古代日本で書かれた万葉集を古代朝鮮語ではなく現代韓国語で読もうとしている」という点だった。でも、よく考えてみれば、人麻呂の暗号の後半の方では、韓国語だけで読もうとしているわけでもなく、当時のNHK特集の収録の中では、実際に韓国に渡って、古代朝鮮語の権威にも会って、万葉仮名の文字列を見せて、「古代朝鮮語に詳しい人間によって書かれたものだ」という言葉もいただいているはずだということを思い出した。

批判者たちの根拠の一つに、「古代朝鮮語は、唐などの国の属国となった時点で、中国式に切り替わっており、現代には全く残っていないから、比べようがない。」というものがあったが、それもおかしな話だと思った。確かに、公文書などは中国式に切り替えられたかもしれないが、個人間の私信などまでを完全に消し去るのは、可能なのだろうか?と思うのだ。

というのも、中国語と韓国語や日本語には、文法上の語順の違いというのがあり、これについては過去も現在もそのまま残っており、言葉遣いなどで多少の違いこそあれ、完全に文化的に分断されたなどということは、欧州人によるアフリカ・南米の支配みたいな事でも起こらない限り、不可能だろうと思ったのだ。

そう考えると、批判者たちは「人麻呂の暗号」の韓国語で約した部分だけを取り上げて、自らの主張に持ち込むために、利用しようとしているように思える。

それに、「人麻呂の暗号」の終盤は、単なる韓国語訳などではなく、万葉仮名に使われた各々の漢字を懸命に吟味し、文字そのものが持つ音だけでなく、象形文字として使われていたころの意味までも厳しく調べて、背後に隠れているイメージを炙り出させようという試みがうかがえるのである。

それが、第2弾の「額田王の暗号」に来ると、漢字のもつイメージが先行して、補助的に韓国語に当てはまるものを探しているというアプローチをとっているように感じた。

そう思った時、ふと思い出したのが、「象形文字が、単に音を表現するだけではなくて、意味をも表現しているならば、古代エジプトヒエログリフと似てないか?」ということだった。

ヒエログリフは、ロゼッタ・ストーンの発見によって飛躍的に解読のスピードが上がり、現在では、そのほとんどが読み説かれているのだという。そのロゼッタ・ストーンというのは、ナポレオンのエジプト遠征のとき発見されたのだが、イギリスの巻き返しによって奪われ、英国での解読が進められ、最終的にはフランス人のシャンポリオンによって解き明かされたという。

Wiki Pediaによれば、「ロゼッタ・ストーンエジプト語ギリシャ語(コイネー)の2種類の言語で書かれており、3種類の文字で記されていた。エジプト語の神聖文字(ヒエログリフ)と民衆文字(デモティック)、そしてギリシャ文字である。ギリシャ語部分は読むことが出来た。残りの言語の部分も、恐らくギリシャ語と同じことが書かれていると推測された。」とある。

そんな便利なものが万葉集解読にも存在していれば、小難しい謎解きや調査などする必要はないのだがなあ……と思っていたのだ。だけど、これって何かに似ていると思ったのが、Hippoの教材のトランスナショナル版のテキストだった。

我々Hippoのメンバーは、「ヒッポ、海を渡る」のトランスナショナル版CDをよく聞く。一つのストーリーをいろんな言語で言えるようになろうと思って聞くのだが、もともとが日本人のために作られたストーリーなので、それぞれの言語版を収録するときには、登場人物のものの言い方などで、各国の声優さんがクレームをつけるのだという。「こんな言い方はしない」などと。そういうのは、よく吟味してから受け入れるようだ。

だけどCDを聞いていて、妥協していないなと思うのが、話す内容の順番などは可能な限り守られていることに気がつく。つまり、趣味、家族の紹介、飼っている家畜やペットの順番など、その人によって話す順番は違うと思うし、語呂などを考えると、別の順番の方が言い易い可能性もあるかもしれないが、これらは可能な限り守られる。気がついた中で違っていたのは、父母の紹介で、ロシア語版だけは、母親が先に紹介されているだけだった。

また、他の国には存在しない概念もある。日本語で言う「○○をよろしくお願いします」という部分などは、日中韓には、問題なく存在する概念で、ぴったりする言葉が存在する。スペイン語には、「自分をよろしく」という「ムーチョ・グスト」が存在するけど、他人や自分の所属するグループをよろしくお願いする概念がないのか?「ビバ・ヒッポ(Hippo万歳)」と言っている。英語には、個人・グループともに無い様な感じ、仏独に関しては、それぞれ「やさしくしてあげてね」「…に愛を」と、チョットどうかな?という言い替えになっている。

まあ、そういった小異はあるものの、「この順番でいけば、日本語のあの言葉は、ドイツ語ではこんな風に言ってるんだ」みたいなのが、ある程度見当がつくのだ。そういうのが、自己紹介で複雑なことを言おうと思って仕込んでおくとき、意外と役に立つ。また、色々とまくし立てられても、意外なところで、キーワードになる単語の音が引っかかってきて、それがどの場面でのことか思い出されると、周りの単語の意味まで体にしみ込んでくるときがある。

そう思うと、トランスナショナルCDって、我々にはロゼッタストーンみたいなもんなんだとも思えてくる。そんなことを考えながら、新幹線が終点に着きかかると、車内放送が流れた。その最後に、日本語で「皆様の、またのご乗車をお持ちしております」と言ったかと思うと、続いて英語での車内放送が始まった。その一番最後には、「We hope you to ride again.」と。

身の回りにロゼッタストーンは存在しているものだと思った。