波乱の合宿

さて、10万馬券の話といささか話は前後するが、ブログ中断中1カ月に起こったことを書こうかと思う。

まず、中断前の枝豆問答からすぐに起こったことといえば、新潟Hippoの合宿である。

ウェル・サンピア赤塚というスポーツ施設付きの豪華な施設だが、格安で借りられるというのは、それが悪名高い、「厚生年金の資金を使った運営施設」だからである。まあ、施設に人には、ほとんどかまってもらえなかったから、料金はリーズナブルと言うに留めておくけど、我々の厚生年金を使って運営してるなら、ちゃんと儲かるようにやってほしい。施設全部含めて、2億で売りに出されているんだとか……安い!安いけど……買うと言えない程度の安さ。それよりは、運営に幾らかかるんだ?それが問題なんだと思う。

さて、合宿。いきなり運動会みたいなゲームで始まった。ここで、不覚にも、骨折してしまった。というか、転んで打ち身をしたと思っていたのだが、帰って3方っても痛みが引かないので、整形外科でX線撮影して、アバラにひびが入っていることが分かった。

判ったと言っても、アバラの骨折は、しかもヒビの場合は、どうしようもない。大人しくしているしかない。これは、すでに1カ月以上経っているが、順調に回復している。

それにしても、骨折して炎症を起こしている時は、入浴・飲酒を控え、幹部には刺激を与えないようにとの事だったのに、知らないで、いろんな悪いことをした。温泉に入って、二日酔いしそうなほど飲んで、帰ってから整体に行った。良くなるはずがなかった。順調に回復して良かった。

合宿の夜は、トラカレタイム。量子力学をやった。「光や電子は、波なのか?光なのか?」ってやつ。
みんなの前で寸劇をやる。私は、マックス・プランク役を拝命した。溶鉱炉の光の色から、温度を推定できないかを、プリズムを通したスペクトルを観測して、ついにはE=nhνを導き出した人だ。このnが1,2,3,……という飛び跳びに値を取ることから、光は波という結論に収まりつつあった物理学界に、再び粒子説を盛り返させてしまった。

私は、寸劇の冒頭に現れてこれを説明し、後はアインシュタイン、ボーア、ド・ブローイ、ハイゼンベルクシュレディンガーに扮した仲間たちが面白おかしく演じて、20世紀初めの大激論を再現して見せた。でも、結局この話、やっぱり、電子は見ることができないし、波と粒子の両方の性質を持つなんて、言葉ではうまく説明できなくて、訳のわからない結論になるから、スッキリしないのだ。


トラカレタイムの終盤に、霧箱実験を見せてもらった。写真ではちょっとわかりにくいと思うけど、容器の淵から直線的に飛び出している白い軌跡が2本ほど見えるだろうか?これが、ラジオ・アイソトープのβ崩壊による電子が飛び出してきて、アルコール過飽和状態の空気の中で飛行機雲のような軌跡を描いている写真である。

ラジオ・アイソトープと聞いて、少し焦った。これ、ヤバイじゃん。
詳しくは書くまい。良い子はマネをせぬように……

そのあとの懇親会は飲みまくった。でも、酒が弱くなって、割と早いうちに寝てしまった。これが、体には良かったようだ。事実、この時は骨折していたわけだし、自ら自然のうちに酒量をセーブしていたのだから。

ただ、そんな訳だから、翌日は不調を極めた。SADAの全てのダンスを見送り、茶を飲みながら、体調の回復を待った。

そんなこんなで、体調は最悪の合宿だったけど、フェローの段取りではなく、メンバーの自主参加による関わりで作り上げた最初の合宿は上手くいった方ではないかと思う。私のけがによって、次回からは準備体操をなどと言ってるらしいが、ゲームとゲームの間をつなぐSADAのダンスなんかで、結構体は暖まるし、ほぐれていると思う。

もうひとつ、ある家族から、苦情が出ていたらしい。苦情の内容は2つ、押せ押せの日程で動いたために、幼い子供を抱えた母親が悲鳴を上げていたらしい。おまけに、その人に、他の家族の小さな子が、親が面倒みてくれないと泣きつきに行ったらしく、ほんとに困っていたらしい。もう一つは、こどもたちが、夜遅くまでで歩いていて、迷惑だったことである。

まず、後者の方から考えよう。これは、やっぱり、親が早く寝ないと、子供はいつまでも騒ぎっぱなしになると思うから、12時まで全体の懇親会にして、あとは各部屋で節度を持って懇親するしかないと思う。Hippoの規律の悪さには、私も気にはなっていたのだが、大人に規律がなければ、子供は従わないだろう。これは、次回から気をつけるべきことだ。

つぎに、前者の方だが、Hippoの合宿とはホームステイみたいなもので、多くの家族がいるから、自分の思う通りにはいかない。思い通りにならないからと我慢だけしていたら、ストレスがたまりすぎてしまうので、ここは言葉に出して、求めるべきは求めるべきなのである。

とはいえ、これが簡単にできたら、苦情なんか出るはずがない。苦情が出たのは、この求めることができるような雰囲気作りができていなかったことに大きな原因があると思う。「言いたいことがあるなら言えよ」などとカッコの言い事を言っても、言下にそれを一蹴される雰囲気で言われては、何も言えないのである。

そこで、まず自分がやりたいことは、そういう小さい子を抱えた親子が困っていないか、絶えず、気を使っていようと思う。まあ、そんな家族なんて、たくさんあるわけじゃない。協力してくれる仲間が4〜5人もいれば、カバーできそうな話だ。そうやって、話に乗ってくれそうな雰囲気で、「何かしてほしいことがあったら言って」と言えば、何となく言えそうな気がするのではないかと思う。

これは、同時にホームステイ受け入れにも通ずる話ではないのかなと思う。相手を気遣う雰囲気がなければ、言いたこともいえないと思うし、そういう気持ちがなければ、相手を理解するなどできないのだと思う。